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ある個人の所有するギターがタッキ氏のもとへ運び込まれてきた経緯にはじまり、状態の診断と処置の概要、そして段階的な修復過程と使用工具・接着剤・作業のポイントに至るまで、詳細に写真と解説で綴ってあります。
英語版のページと日本語版のページを掲載してあります。世界のギター愛好家のみなさんやアマチュアギター製作家の参考になれば幸いです。
原稿は基本的には私(鶴田)が日本語に訳しました、英語版はほとんど原文のままです。それから、私の手に負えない難しい部分をアメリカ在住の宮川謙一さんが翻訳を手伝ってくださいました。彼がいなければ日本語版は実現しなかったでしょう。イタリア、日本、アメリカの間で、全てをインターネット上のコラボレーションというかたちで実現できました。今回ほどインターネットが便利でありがたいものだと感じたことはありません。
●おことわり:アンドレア氏は博物館の歴史的な楽器修復等の仕事もなさっています。そのため送付していただいたレストア過程の写真は慣習に基づいたモクロームのものが多く含まれています(歴史的な楽器の修復は白黒写真で記録するのが普通です)。そのためこのページでも多くの白黒写真を使っています。
●注意:著作者に無断での転載と商用利用を堅く禁じます。
●著作権:すべての著作権はアンドレア・タッキー氏が保有します。
Copyright: Allright reserved. (C) 1998 Andrea Tacchi
●ホームページ管理者:鶴田誠(クレーンホームページ)
電子手紙:
電子家屋所在地: http://www.crane.gr.jp
Type of instrument 楽器について:
このクラシックギターは、ドイツ(Reisbach Vils)に住んでいた名工ヘルマン・ハウザー2世によって1957年に製作されたものである。(なお、内部の木製のラベルには1957年9月20日の日付と製作番号601のサインがある)
弦長:646mm
重量:1510g
表面板:ドイツ松(Picea excelsa)
裏、側面、駒:ハカランダ/ブラジル産ローズウッド(Dalbergia Nigra)
ネック:アフリカ産マホガニー/(Guarea Thompsonii)
Owner 楽器の所有者:
ロビー・フェバリー氏 オランダ/アムステルダム在住
修復依頼の理由:
録音とコンサートに再びその楽器を使いたい。
処置の前の楽器の状態:
そのギターは、完全にポリウレタン塗料とラッカー塗料で2層におおわれていた(ぬわんと指板やフレットまで!)。裏板はビンディングをナイフで荒くひっぺがされていた。裏板には誰かによってひどく長い割れ跡がつけられていた。また、亀裂は表面板、再接着された指板、裏板の力木など多くの部分にも見られた。指板にはこまごまとした問題が見られ、修正する必要があった。 虫によるダメージは無いが、スリナム(アメリカの地名)は非常に多湿であり、そのような環境に長年置かれていたため数々のダメージがギターにもたらされたようだ。
Parts removed and newly made 交換部品・修復部位など:
側面板のビンデイング、リブ、そして2つのライニング部、フレット、獣骨、そして表面板と指板に塗りたくってある樹脂塗料のようなもの。
Description of pictures taken during restore レストア過程の記録写真と解説:
1)
写真に見られるように、その楽器はすでに、その底が開かれた状態で私の工房に到着したので、内部を撮影することができた。これが、指板の下の部分(表面板裏側)に接着された松のラベルである。
記述してある内容はボールペンで記録をとった。
Photo 01
2)
ネックのヒール部。裏板と側板の間に生じた破損を見ればこのギターがどれくらい手荒く扱われたかがわかるだろう。
ネック、ヒール、ヘッド部のすべての材質はマホガニーであった。
Photo 02
3)
壊れたライニング部分。
Photo 03
4)
表面板の2つの主な亀裂はすでに修復の痕跡があった。
しっかぁ〜〜し!、そこにはナイフでワレを広げ、松の薄板を無造作に埋め込んであった。オマケに表面板の両側は、同じ平面で接着されていないんよ、いやマイッタね...。
しかも過去の修復主(オレぢゃねぇ〜よ!!)によって表面板は紙ヤスリでムリヤリ平らにされている。ひぇ〜〜〜っ!
Photo 04
5)
指板は、完全に剥がれてしまっている。中米の多湿な気候がこの楽器に悪影響をもたらしたのだろう。
Photo 05
6)
さきに述べたように指板の面には見事なラッカー仕上げが〜〜っ!なんとフレットにまで! ぐぉ〜〜〜っ!
Photo 06
7)
そして表面板と駒と獣骨にはワニスがブ厚く塗られているゾウ! パオ〜〜〜ン!
写真の左側に2つの割れのうちのひとつが写っている。表面板を指でコツコツ叩いてみると以前修復されたの2つの割れの部分はノイズを発していた。
Photo 07
8-1)
表面板を拡大写真で見ると御覧のとおり綺麗な木目である。
木の年輪は非常に狭く硬かった。これはドイツ松の典型である。ドイツ松はイタリアのバイオリン・メーカーの使用している松材(他のヨーロッパアルプス松)よりも厳しい天候のもとに育つ。そして、それが良好な振動伝達速度(私が知るハウザーの材木の場合)を生み出すのだ。繊維を横切る方向(木目と直交方向)には1500m/s(メートル/秒)であり、繊維(木目)に沿っては5200m/s(メートル/秒)という伝達速度である。
Photo 08
8-2)
たいていのドイツ松は、内部に本当に高い振動伝達速度を持つのだ。
備考:振動伝達速度は電子部品を装備した「木材テスター」で測定した。イタリア(クレモナ)にある弓製作会社のGiovanni Lucchi氏が開発・販売したものだ。その測定範囲は繊維方向で5600〜5800m/s、繊維と直交する方向では2100 m/s 程度までである。
ドイツ松はたぶんイタリアの松より少し速いかもしれない。ドイツ松とイタリアの松とは比重が異なる。たいていのドイツ松は400kg/mc(1立方メートルあたり400kg)以上である、また時としてそれは430kg/mcにも到する。イタリアの松の場合は340〜390kg/mcである。
8-3)
もしもヤング率が一定の重量(振動伝達速度×振動伝達速度×一定の重力)の振動伝達速度周波数のモードとするならば、ドイツ松はイタリア松より縦断面ともに強固である。グラビア(写真)を御覧あれ。
ドイツ松のほうがイタリアの松より固いことがわかるだろう。
(さほどの差でもない。振動伝達速度が最も重要であり、測定自体は角柱で測定するのが前提なので)
しかし、振動伝達速度と重量との係数を考慮するとイタリア松の方が極めて伝達速度が高いと言える。そして、このことが木材に振動を起こさせやすくしている。
8-4)
ドイツ松についてもっと知りたい人のために。
私の知るところによると、19世紀の偉大なピアノ製作者たちも松を捜していたようであり、そのへんのことはRosamunde Hardling氏の著書にも記されている。
なかでもHohenamに住んでいていたヨハン・セグル氏はシュワゼンベルグ公爵の森や、Stubenbach、あるいはLagendorfの森の中を探索し、1836年に木の幹を切る特殊なノコギリを発明して、組み立てたぐらいである。
そして、松のためにヨハン・セグル氏は特にシェーンベルクのレイチェル山からルーゼン山にかけて「ウォルフステイン国王の森」にまで踏み入ったのである。
別のいい文献も紹介しよう。偉大な音楽家サミュエル・ウオルフェンデンによって1916年に書かれた「ピアノフォルテ製作法」には、いくつかの章の中に記述がある。あなたは、様々な木材別の共鳴板と振動伝達速度についてじつに興味深いデータを見つけるだろう。
9)
ビンディングの概観。
Photo 09
10)
ブリッジ(駒)はいったんはがしてから、あとで私のオリジナルのニカワで再接着することにする。
ブリッジはビニール状の膜で覆われていたので少量のアルコールと暖めた薬さじ(スパチュラまたはスパーテルと呼ばれる平たいヘラ)にいくらかの水を使ってはがした。
そうして、はじめに最もひどい表面版の割れにパッチ(木片)を接着する作業にとりかかる。
私は2切れの薄い松の木片を作った、そして曲率半径6.5mでまげたバネ棒で抜きミゾ部分の上に接着した。
表面板の裏からパッチをニカワで接着した。
Photo 10-1
Photo 10-2
11--14)
悪い振動を作っていた全ての古い痕跡を削除するためにそのパッチに達する深さまで、リュータで2本の深いミゾを掘った。完全にそれをきれいにするために、私はそのミゾ幅をかなり大きく(5mmと4mmに)した。
その後、私は表面板の表側から2つの松片をにかわで埋め、接着した。
Photo 11
Photo 12
Photo 13
Photo 14
15-16)
拡大鏡を装着して作業することはこの種類の仕事に関して好都合である。拡大鏡はドイツのカール・ツァイス社製で3倍に拡大視して作業できる。
ここで私が使っているツールが「ペインティング/レストアナイフ」と呼んでいるもので、特別な方法で整形し鋭くした古いカミソリ。(このカミソリはゾリンゲン社製/ドイツの「ムーン」というブランドのもの)
鋼が硬すぎるのでINOXカミソリだけは使わないこと。
Photo 15
Photo 16
17)
裏側:修復の原則としては、再接着と剥離が可能にしておくことである。
裏板はいくつもの大きな亀裂を生じていた。以前に手を加えた木工師がローズウッドで亀裂を埋めるためにノミで拡幅してしまった部分に副木を添える、彼が決して終えることができなかった作業である。
膠で亀裂の両端を密閉した後「terra di Siena(burnst umber)」や「Brun Van Dyck」のようなステンパウダーと「microballons」をエポキシ接着剤に混ぜたものを準備した。それを使って全部の大きな亀裂をふさいだ。
(鶴田注:ステンパウダーは「との粉」のような目止め粉末。ここではこげ茶色のものを使ったようです。ローズウッドや黒檀をやすりで削ったもので修復塗料の原料や貝のインレイの充填原料として使われます。)
亀裂を埋めるために、同様の曲率半径6.5mのモールドを使った。
モールドは、薄いポリエチレン・フィルムでおおわれていた。
Photo 17
18)
裏板をやすりがけして磨いているところ。
Photo 18
19)
セドルで作られたいくらかの軽いパッチ(クリートともいう)は、修理された裂け目の上にニカワで接着した。
Photo 19
20-21)
オリジナルの後ろの力木(ネックと同じマホガニーでできている)が届いたので、その裏面から接着部をはがした。ただし、状態が良いので紙やすりで軽くならしてから接着した。
裏板の力木6箇所をオリジナルの位置にセットした。
力木の反対側で、1切れの薄い松板がクランプ圧力の均一に貢献した。
ここもニカワで接着....と。
Photo 20
Photo 21
22)
裏板は、ほとんどできあがってきた。
ネックのヒールが接するあたりにローズウッドの大きいパッチをあてがってあるのがわかるだろうか。
そして、これはあまり良い方法ではないのだが、裏板はひどく引き剥がされ傷みが激しかったために、私はエポキシ接着剤を使わざる得なかった。
Photo 22
23-24)
リブ(側面板)を裏板と正確な位置で合わせるにはこれらのブロック(セドルでこさえた治具)が必要だった。事実、丁度わたしの工房に届いたハウザーオリジナルのビンディングはこの裏板とちょうど同じ厚さを後ろの側面から突き出させた。この工夫により、私はブロックを取り外しニカワで楽に(ぴったりの寸法で)これらを接着することができた。
Photo 23
Photo 24
25)
新しく作られたビンディング(リブつまり側面板の縁取りに貼るためのもの)は3枚のカエデを接着した作りになっている。
中心3本のラインのうちの真ん中の部分は事前に湯煎のうえ緑色に染められている。
No.36の写真を御覧いただければわかりやすいだろう(鶴田注:No.9にあるように表面板のカーブになぞって貼られるのがビンディングです、オリジナルのハウザーの色と模様を忠実に再現しなければならないというわけです)。
このビンディングはニカワで側面板に接着し、マスキングテープで固定する。
Photo 25
26)
新しいライニング(つまり内部のコーナーをふちどる木片)をこさえて側面板に接着している作業。それはアフリカ産マホガニーのオリジナルによく似ている。
これもにかわで接着....と。
Photo 26
27-28)
2つの写真は、力木の構成が見やすいように斜めから光をあてたもの。ハウザー氏により作られた証拠に、扇状の力木とサウンドホール下の円形の力木の表面の独特のシェイプが見える。
小型かんなやヤスリでサウンドホール迄達する扇状の力木には、ハウザー氏によるもの以外の調整はされていない模様だ。
Photo 27
Photo 28
29-30)
裏板の位置決めを行い、接着する。その最低限の圧力が今後の楽器を安定させる。
はい、これもニカワで接着.....と。
Photo 29
Photo 30
31)
ビンディングを接着する。
Photo 31
32-33)
指板をほとんど剥がしたときに気付いたのだが、指板の第12フレット以降の部分は切断されていた。私は、奇妙な材料の薄い層を発見した、セルロースか黒いにかわらしき粉末のようだった。
2年前(1996年)、私はVicenzaの町で開催されていたギター・フェスティバルでHauser3世に会った時、私の修復について多少の興味を示していたのだが..........私は彼にこの材料が何のためにあったか尋ねたところ彼はこう答えたものだ、
「それは、ひ・み・つ だよ〜〜ん!」
この記事を御覧のみなさんが一番興味をお持ちのところなので答えられないのが残念だとは思うのだが、私の理解では以下のとおりである.....。
ネックに傾きを与えるとき、すなわちネックと表面板に角度をつける時指板の裏側部分は、丁度足の裏と靴底の間の「間隔」と同じ様にぴったりさせるためにかんな掛けとやすり掛けが必要となる。このやり方によって指板を接着する事ができ、ネックや表面板に余計なストレスをかけなくて済む。あるいはこれらの複合作業によりネックを適当な位置でセットできるはずなのだ。
私はネックの交換にあたってこの解釈でレストアを行った、黒く染めたAzob veeners(かなり軽い木材)と取り替えて処置した。
指板をニカワで再接着したあと、新しいフレット(オランダのGebr Van gent社製)をブち込んでやったぜぃ!
Photo 32
Photo 33
34)
ギター製作や修復の作業で磨く作業というのは一番キモチが良いものだ。
私は1983年にロベール・ブーシェ氏から教わったセラック塗料と塗装方法だけを使うことにしている。木の表面を軽石とアルコールで満たす事から始めて.......。そうすれば、手早い作業によって優れた結果が得られる。
(鶴田注:アンドレアさんは名工ロベール・ブーシェに師事した数少ない製作家の代表的な一人です。近いうちに来日する可能性大です!)
補足:1999年秋、アンドレアさん来日。鶴田と面会! 嬉しかったです。非常に暖かい人柄の紳士でした。
Photo 34
35)
すでに塗装しなおしたブリッジを軽く温めてニカワで接着する。ギター内部の見えない部分ではあるがブリッジの裏側からクランプして圧着する。
新しいサドル(古い象牙)を装着し、ハナバッハ(緑)を張った。すると今まで体験したことのない最も大きな奇跡が起こった、そのギターは、大きく、暖かい、素晴らしい音を奏でたのである。不遇な彼の過去によってこのようなコンディションに至ったにもかかわらずである。再び歌うために耐え抜いた生命が、そのギターから芽生えていた。
不思議な事実である。
Photo 35
のこされた修復と仕上げまでの写真を以下に示す。
Photo 36
Photo 37
Photo 38
Photo 39
Photo 40
● コンサートギター製作家:アンドレア・タッキ
[ イタリア/フィレンツェ ]
CONCERT GUITAR MAKER
ANDREA TACCHI
VIA MONTE
OLIVETO 20 50124 FIRENZE ITALIA
TEL + 39 (0) 55.225841
E-Mail: tacchi@dada.it
●記載事項について不適切な表現や誤り等がございましたらお手数ですがメールにて鶴田まで御連絡頂ければ幸いです。
●なお、アンドレア氏には資料作成にもご御協力をいただき心より感謝しております、ありがとうございました。そして日本語訳に御協力いただいた宮川謙一さん、田中典子先生、この場を借りて心より感謝致します。
●今回の記事は、制作にまる4ヶ月を要しました......ちゃんと英語を勉強しなくちゃ.....ふぅ......。