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■ ハーディガーディの登場する絵はがき:2枚目
はい。2枚目の絵はがきを紹介します。これも鶴田コレクションから。
岩場に腰掛けてハーディガーディを演奏するおぢちゃん。リトグラフによる印刷。1910年頃 フランス。
ハガキの右側には切手が貼られ、楽譜と歌詞が印刷されています。
手書きの差出人名と日付があり、1913年1月17日にパリの家族宛に出されたものと思われます。
約100年後に日本のホームページで紹介されるなんて、誰が想像したでしょう ....
ハーディガーディの古い絵画や写真や版画では、粗末な身なりの男性が描かれることが多いのです(前回のラモーさんは立派なお姿でしたね)。
今回は少しくたびれたズボンやジャケットにナゼか木靴を履いています。しかし、この写真で見るべきはそんなところではありません。
そう! 宗兄弟!(←懐かしい)、そうなんです。ヒルナンデス。サントス・エルナンデス。左手が逆なんです。まるでギターやリュートみたいに構えていますね。
ハーディガーディの一般的な弾き方は左手を上からかぶせるようにしてキーを押さえて演奏しますが、この方は下から逆手でキーを操作しているのです。
古い時代の絵画や版画では、その楽器を演奏できないモデルさんを使ったが故に、ぎこちない持ち方の例が多く見られます。これもそうなのでしょうか?
写真をよく観察すると、もしかしたらちゃんと演奏できる方かもしれません(指がキーの境界位置にはありませんし、小指は次に押さえるキーの真上にあります)。左肩のストラップや組んだ脚、ペグボックス側が上がっている点も合理的です。
じつは、鶴田は以前までハーディガーディはこうやって弾くものだと思い込んでいた時期がありました。おそらく始めて見たハーディガーディの写真がこれと同様だったのかもしれません。事実、この逆手の弾き方はネット上をよく探すと少数派ですが、たしかに「有り」なのです。全ての逆手の奏者が弾けないモデルさん?とも考えづらく ....
教則本やテレビの普及していなかった時代において、さぁ楽器(どんな楽器でもいいけど)を始めましょう! となったとして、たいていは教えてくれる人のカタチどおりに真似しようとするでしょう。ハーディガーディに限らず(スポーツや武芸全般でも言えることですが)カタチから入るのは定石です。楽器の保持や構え方、弾き方は先生が上手に弾いていればひとまずそれらを全部マネしちゃえ!
そうすれば自分も同じように弾けるようになるカモ!? そう考えるが自然でしょう。不摂生を重ねて指を太くすればセゴビアみたいに弾けるかもしれません。
さて、切手が貼られて消印もあるので裏面(表面といふべきか?)には当然ながら宛先とメッセージが記されています。
こういうのを読み解くのも面白いのです。
ところが、私はフランス語が読めません。楽器製作では古い文献は英語のほかにイタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語などが常に出てくるので辞書の使い方や翻訳の方法は知っておかねばなりません。とくに1800年以前の古楽器の文献は現代語ではなく古い文体なのですよ。日本語でいうところの「てふてふ/ちょうちょう」みたいなものです。現代の辞書では訳せなかったりします。それを各国語で広範囲に理解するのは簡単ではありません。そもそも英語ですら満足にわかっていない鶴田。
シェークスピア時代の英語は i と j を区別しない(uとvも区別しない)等、現代の英語とは違います。18世紀ファブリカトーレの研究におけるラベルも s を f と表記してましたよね。マティアス・ホセ・マエストロの音楽帖でも古いスペイン語を読まねばなりませんでした。そんなとき、私はどうしているのか?
答えは単純明快 .... 調べまくる のです(笑)。でも本当です。まずは「がんばる」。ネットだけに頼らず、辞書をひきまくるとか過去の論文や関連文献をひたすら探して訳すとか ... 。
今回は以下の画像のように活字ではなく筆記体 / 手書き なので、最初からハードルがエベレストのごとく高い。対してこれを読み解こうとする鶴田のフランス語能力はマリアナ海溝より低い。
限界はありますな。それで、やってみて手に負えないところで降参したら ... 次の手段は 訊きまくり です(笑)。
アリガタイことに、この青い惑星の各所に楽器仲間がおりまして、ゴロニャンと相談してみたり .... ひたすら感謝であります(もちろん逆に質問・相談されたら倍返しで協力しなければなりませんぞ)。
自力で訳したものをセカンドオピニオン的に訳してもらうこともあります。ありがとうございます。
1913年1月17日 にボリス・ラポポートさんが、パリのピュクピュス通り53番地 に住む妻ジェルメーヌさんとその子供たちに充てた手紙です。
愛しい妻ジェルメーヌよ。
こちらは変わりなくやっています。
ラ・シェーズ=デュへ向かっているところです。その隣町のアンベールに滞在する予定なので手紙をください。
みんなにもよろしくね。君に熱いキスを。
それにしても ... 雪また雪で、雪だらけさ。1913年1月17日 マルサックにて記す
ボリス・ラポポート
位置関係を把握するために地図を作ってみましたので御覧ください。
当時の国際情勢を考えると、ラポポートさんは兵役で従軍中だったのかもしれません。
19世紀から20世紀初頭にかけてフランス、イギリス、ドイツ、そしてプロイセン王国やロシア帝国、オーストリア帝国らの政治と軍事同盟が混迷し、バルカン半島の紛争や暴動が頻発するようになり、やがて1914年6月頃から一気に第一次世界大戦の泥沼へと進展していった時代でありますな。ハガキが出されたのはその前年。
ボリス・ラポポートさんは滞在中のマルサックで観光用の絵はがきを購入し、ラ・シェーズ=デュ へ出発する直前に書いたものと思われます。
手紙の内容と絵/楽譜は直接の関係はありませんが、それまでの移動中に街のどこかでハーディガーディを聴いたことがあったのかもしれません。
歌詞は古いフランス語で書かれていて、方言的(というかスラング?)ですが、歌詞自体に特別深い意味やストーリー性はなく雰囲気としては「アルプス一万尺」みたいなものです。ダンスなので「踊る阿呆に見る阿呆 ... 」のほうが近いかな?
歌詞から想像しますと、シーンとしては山のふもとの女子たちが歌っているのでしょうね。
あんたらどこから来たんだい♪ どこの山から来たんだい♪
もし踊りたくないのなら♪ 山から来たあんたたち♪ どこか遠くに行っちまいな♪
曲名「Garçonsde la Montagne / お山の男子たち」....... こんな曲だそうで↓
https://www.youtube.com/watch?v=P1fC2jNcuzE
https://www.youtube.com/watch?v=BW-hR2SJIJM
ふぅ、 ... どうにか記事にまとまりました。超訳なところもありますが御容赦あれ。
記事掲載:2018年4月1日
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