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CRANE 案内板 |
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● マヌエル・ラミレスのギター情報求ム
はい、まずは以下の写真を御覧ください ..... 説明の都合上、このラベルを当工房では「ヴァイオリン付ラベル」と名付けることにします。
当クレーン工房では、このラベルの付いたギターを修復する予定です。そのために資料・文献を調査中です。加えてインターネット上でもあれこれ情報収集しているところなのですが... 。
スペイン マドリッドのマヌエル・ラミレス(Manuel Ramirez1864-1916)の工房ラベルです。年号は記されていませんが、ラベルのデザインから考えて1900-1915年頃に製作されたものでしょう。マヌエル・ラミレスは1870年代後期ごろから兄のホセ・ラミレス工房で働き始め、1891年頃に独立(パリへ行くのをやめてマドリッドのカヴァ・バハ24番地で独立)。しかし、その後まもなく工房はプラサ・サンタ・アナ5番地へ移転。やがて、繁盛するとArlaban 10番地へ移転し定住しました。ラベルの右下に所在地がArlaban 10 と書かれてますね。このラベルのイラストにもあるように、ヴァイオリンも取り扱っていましたが、なぜかバンドゥーリア(当時のギター工房ではバンドゥーリアは当然のように製作された)は、このラベルでは触れられていません。各種の弦は売っていたようですけど... 。
マヌエル・ラミレスが死去したのは1916年。死後は未亡人指名制に従ってサントス・エルナンデスがギターを製作し、VIUDA DE Manuel Ramirez(マヌエル・ラミレス未亡人)と表記されたラベルが使われました。後継者製作のギターには樹木風飾り罫のArlaban 11ラベルが貼られています。所在地がArlaban 10からArlaban 11という向かいの敷地(註1)に移転したのは、後継に伴う工房の再編といったところでしょうか。
1912年にArlaban 11に移転した、あるいは工房を増設した?という説もありますが、よくわかりません。正式な移転はマヌエル・ラミレスが亡くなった1916年以降でしょうか。店舗の拡張/増設であるなら1912年もアリでしょう。
【ラベルの違い】
マヌエル・ラミレスのギターでは、複数のデザインの異なるラベルがあります。
・おそらく1900年以前のArlaban 10 の時代は飾り罫の無いラベルや、あるいはバンドゥーリアとメダルの描かれたラベルなど、いくつか確認しています。
・Arlaban 10 の時代において、今回のヴァイオリン付ラベルは少なくとも1903年以前から1912年頃(1915年頃?)まで使われていたようです。
・世間でよく見られる個人ラベルとして「ハ型」の飾り罫ラベルがありますが、少なくとも1905年頃にはすでに存在し、1916年頃まで使われたようです。
・1916年のマヌエル・ラミレス死後は樹木風飾り罫のサントス・エルナンデス ラベル(マヌエル・ラミレスの後継者)になっていくと... 。
とまぁ、私がざっと調べた限りではこんなところです。大量に生産した時期にはラベルが足りなくなって昔のラベルも使っちゃえ!ということもあったでしょうから(笑)、年代のおかしい例外的なものもあるかもしれません。また、他にもまだ私の知らないデザインのラベルもあるかもしれません。
予習としては、おおむねこんな感じです。
※ ラミレス一族の系譜:マヌエル・ラミレスはホセ・ラミレス1世の弟さんですな。のちに二人は別れて目指す方向も変わっていきました。
※ マヌエル・ラミレスがメダルを授与されたのは1893年のシカゴ博覧会。
※ このページの記事において、上記ラベル写真は、国内外の文献や世界中のサイト&ブログから拝借したものも含まれます(オリジナルの掲載元が不明なものもあります)。「ウチの画像じゃ、使わんでくれ」という御指摘があればすぐに削除しますので、御手数ですが御連絡ください。すんませんなぁ。
で、本題ですが、当工房では、このラベルの付いたギターの全体像の写真を求めています。重複してもいいので、できるかぎり多くのサンプルがあればアリガタイのです。
製作家としての個人ラベルと工房ラベルを区別していたのでしょう。これは 量産モデルでよく見られるラベルなのですが、なかには高品質なギターにも貼られています。1900年頃の当時のラミレスのカタログでは10〜1000ペセタの価格に至るまで48モデルがあったといいます。つまり、うんと簡素で無装飾の安いギターもあれば、良い材料を使った装飾の凝ったギターもあり、様々な買い手の要求でオプションが設定されていたのでしょうね。なんたって、安いモデルは表面板を塗装していないものも多くあったのです。当時からマヌエル・ラミレス ギターはブランドとしても知名度が高く、このラベルのギターもかなりの数が作られたはずです。
ところが、ネット上にはこのラベルを持つギターはあまり見られません。個人ラベルの高級モデルは比較的大事にされて残存数も高いようで頻出しますが.....。なにしろ100年以上も前の楽器ですから、風呂のたき付けになったり、スペイン内戦で多くは灰になり、その後も改造を受けたりでオリジナルの状態のものが、果たしてどれくらい現存するのか? 実態がよくわかりません。
しかし、
改造されていても、ひどく壊れていてもかまいませんので、見かけましたら全体とラベルの写真など数枚提供いただけると嬉しいです。御本人でなくとも、お友達が持ってるとか、屋根裏で発見したとか、道端に落ちていたとか、尖閣諸島で見かけたとか、... よろしくお願いいたします。
【連絡先】
mmm●st.rim.or.jp
●を@に変えてください。
(註1) スペインでは番地の付け方が日本と違って、通りの左側が奇数番地、右側が偶数番地に割り振るのだそうです。従って、Arlaban 10番地からArlaban 11番地は「すぐ隣」に移転ではなく、通りの「向かい」に店を構えたということになるようです。
● たくさんの情報提供ありがとうございました。とても参考になりますた。手元のマヌエル・ラミレスのギターの修復に役立てます。 (2014.08.16)