バロックギターからモダン・ギターへの流れ

 

ギターは16世紀末に4複弦から5複弦へと進化したといわれています。つまり少なくとも200年以上ものあいだバロックギターに見られるようにギターといえば5コース(つまり5複弦)でロゼッタを持つのが一般的であったわけです。そして18世紀後期から19世紀初頭にかけては5複弦から6単弦の楽器へと変化した時期であり、いわば現在よく見かけるギター(比較してモダンギターと呼ぶことにします)のカタチを確立してゆく重要な時期といえます。フランスでも1800年前後でプチ・ジャンやブレイス・マス(父)が5複弦〜6複弦のギターと6単弦のギターを製作しています。世界を見まわしたとき歴史上で6単弦を一般化させたのはおおよそ1770年代頃のイタリアのナポリのギター製作家(ファブリカトーレ一族)たちであるという説が有力です。

 

順を追っていえば 4複弦 -> 5複弦 -> 6複弦 -> 6単弦 あるいはこれと似た変遷があるようですが、時期的に6単弦が一般化するのは1780年〜1810年ごろのようです。私自身の調査では1785年のラベルのあるGiovanni Fabricatore の6単弦ギターを確認しています(Alex Timmerman著書)。もう少し古い6単弦ギターもみかけますが信憑性の点でいくつかの疑問を含むものが多いです。

補足:その昔から11弦とか12弦の楽器、あるいは大柄なボディサイズのギターは地域的に製作されてはいたようです。ここでは民衆に一般化したであろう時期を記してあります。18世紀末から19世紀初頭にかけてナポリ(イタリア)では弦長665mm程度、ボデイもモダンギター並という大柄なギターが製作されていました。ガダニーニやファブリカトーレの楽器(但し多くは平行力木)が多く現存しています。また、詩人のシェリーが亡くなる直前まで所有していたギターもナポリで購入されたもので大柄な19世紀ギターでありました。このへんの話は「弦のコーナー」を参照ください。

この19世紀、いや正確には18世紀末期から19世紀前期にかけてはヨーロッパにおいて優れたギター音楽家・作曲家・演奏家・教授が活躍する黄金期(但し6単弦ギターにおける)と呼ばれています。これはまた数多くのギター製作家が大いにワザをふるった時代でもありました。当時はヴァイオリンやチェロ、マンドリンなども同時に製作するという製作家が一般的でした(ラ・プレヴォットはヴァイオリン製作家としても知られており、ファブリカトーレはマンドリンも製作しました)。

 

備考:ギターの起源や歴史はいくつかのおもだった説がありますが、ヨーロッパのルネサンスギター(4コース)やスペイン15世紀のヴィウエラ(6コース)の時代にひとつのギター最盛期を迎えています。また、バロック時代においてもフランスとイタリアを中心にセラスのような超名門や巨匠といわれるヴォボアンがルイ14世たちとかかわりをもったりしながら栄え、ひとつの黄金期が確認されています。

 

浜松市楽器博物館特集より

 

 

古来から楽器は職人さんが工房でコツコツ少人数で製作する場合と逆に大規模に分業化する場合とがありました。分業化においては部品、例えばペグやブリッジや装飾ごとに専門製作家へ外注してそれぞれパーツごとに買い揃え、組み立てて売るということも19世紀には行われていました。貝細工やベッコウ細工にそういった例が見られます。分業化することで大量生産と低コスト化するというしくみがすでにあったわけです。19世紀のギターのなかにはラミーのようにもともとヴァイオリンメーカーであったものがのちに管楽器やギターも販売していたのですが、それらの楽器はすべて自社生産したのではなくほとんどを外注し、完成されたものを仕入れてラベルだけを最後に貼って販売していました。まあ、いってみればROREXの時計にティファニーの名前を付けて売るという「ダブルネーム」、あるいは東芝のエアコンにCORONA社のラベルを印刷して売るという「OEM供給」と考えればいいでしょう。ラコートのOEMブランドとしてはブーシー、シャペル(チャペル)、デイヴィスなどが知られています。当時の代理店はいくつかの製作工房に大量に楽器を作らせ、それに自分のお店のラベルを貼って販売するということが多かったのです。また、そういったギターのなかにはラベルの無い状態で現存するものも非常に多いのであります。

今も昔も時間をかけてのんびり製作するという小規模な製作家は多く存在しますが丁寧で個性的な(あるいは特別仕様の)楽器製作は個人製作家の得意な分野と考えていいでしょう。もっともラコートなどは上記のような大量生産システムでギターを作っていたにもかかわらず、作りは精巧でしかも特別な仕様のギターもかなり製作していたようです(19世紀のアーリー・マーチンも同様)。以下の写真のような美しい貝細工のラコートはたぶん特別注文だったと思うのですが表面板ごと貝細工職人に依頼して完成したそれを自社製作のスタンダードなネックやボディに組み合わせて販売していたものと考えられます。

 

18世紀後期から19世紀初頭にかけては以下のように社会情勢の大きな変化が巻き起こった時期でもあります。機械加工技術の飛躍的な進歩、貴族社会への反発。近代化が進むにつれて人々は手軽で安価な楽器を求めるようにもなりました。複弦のやっかいな調弦や手工品の高価な楽器にかわって工場で大量生産した安く手軽な楽器(シターンやイングリッシュギターの普及や単弦化されたギター)が人気を呼びます。19世紀初頭から5複弦のギターや6複弦のギターは次第に忘れられていきました。

また、この時代に大きな規模のコンサートホールが作られるようになると大きな音の楽器(ピアノやオーケストラ)の人気も高まっていき、ギターも楽器の改良(変化)がなされていくきっかけとなります.....。

 

 

フランス革命(1789年〜1799年):財政難が原因で貴族社会への反発で起こったといわれています。5コースのギターやヴィオール族などの王朝・貴族の楽器はこれを機に衰退します。

 

 

産業革命(1760年頃〜1830年頃):イギリスで手工業から機械工業への動きが起こり大量生産が可能となります、これをきっかけに資本主義が生まれます。1830年頃にかけて欧米諸国に波及しました。

 

 

かくして一大ギターブームがヨーロッパに巻き起こるのでした。

 

参考:社団法人 高分子学会:高分子科学技術史研究委員会「日本の科学技術史」

 


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