● 19世紀の製作家たち
■ 御三家と様々な製作家たち
19世紀ギターといえばどうしてもラコート、パノルモ、シュタウファーの御三家を中心に話が展開してしまうのですが、18世紀〜19世紀にかけては各地に楽器製作家が集まる街が存在し、私たちの知らざる匠が数多く活躍していたことがわかっています。イタリアのナポリ、クレモナ、ドイツではザクソン郡のマークノイキルヘン、そしてウイーン界隈、イギリスのロンドン、のちのロシア...などが挙げられますが、とくにフランスではパリやミルクールという街に多くの弦楽器製作者が集まって盛んに優れた楽器を生み出していました。前にも書いたようにイタリアでもフランスでもそうですが、当時は多くの製作家はヴァイオリンやギター、ヴィオラなどいくつかの種類の楽器を一つの工房で製作していることが多かったのす。ラプレヴォットやファブリカトーレといったギターの銘器もじつはマンドリンやヴァイオリンやチェロを製作してもいたのです。時代はちょっとさかのぼりますがあのストラディバリウスもギターやマンドリン、チェロといった様々な楽器を作っていたことはよく知られていますね。
さて、19世紀ギターを語る上で個人的に重視しているのがファブリカトーレ一族 / G.B.Fabricatore でしょう。この製作家や一族、ピエトロ、ラファエロなどに関してはいずれ特別にコーナーを設置して解説しようかと考えていますので今回はひとまず世間でよく話題に登る(ちょっとミーハーだけど)人気製作家から御案内しましょう!
さて、ひとまずその御三家ってヤツを以下に ...
●ルネ・フランソワ・ラコート:もともとリュート製作家でもありフランスのミルクールで生まれ、パリなどで製作(パリだけでも工場は移転を含めて8箇所ぐらいあったようです)。ソルやコストなどが愛用。分業化して合理的に精巧なギターを製作、のちにギターのストラディバリとさえ称される。Lacoteとは個人というより大規模工場のブランド名だったのですな。
●ルイス・パノルモ:製作法はスペイン式で、主にイギリスで製作していた。パノルモは基本的にネックのジョイントもスペイン式で力木も扇状。初期には扇状でないラコートのような配置の力木も採用していた。一族で製作しておりそれぞれにボディサイズや細部の仕様も異なる。親子や親族で製作。
●ヨハン・ゲオルク・シュタウファー:主にウイーンで製作していた。アコギで知られるマーチン社の創始者C.F.Martin が修行した工房。シューベルトも愛用。当時のギターで現存する楽器は上記2製作家に比較して少ない。アルペジョーネを発明したことでも知られています。
当時の製作家たちはかなり競争が激しく製作技術も現在よりはるかに高度であったとすらいわれています。音律と調律に関しても慎重に対処されたギターが当時から存在し、ルネ・ラコートやヘンリー・カーネギー・カーデンらは可動式フレットで特許をとっています。また、当時スペインでは6複弦から派生したスタイルの独特な6単弦19世紀ギターが製作されたようです。また、ヴァイオリン製作家も19世紀ギターを製作していた例が多くあります。7弦ギターや10弦などの多弦の19世紀ギターも製作されるようになると楽器のみならず楽曲にも多弦のための作品が書かれるようになりました。ツインネックのギターやトリプルネックのギター、リラギターなどもすでに19世紀には存在したのです。
●18世紀から19世紀にかけての製作家としては、パノルモをはじめとするロンドンのハンブリー、19世紀半ばにパリとロンドンで活躍したBoullangier(ブーランジェ)、スペインにおいてはJose Pages, Juan Perfumo, Francisco Sanguino, Joseph Benedid, Francisco Perez, Juan Munoaや, Dionisio Guera, Jose Pernas(トーレスの師匠), Igunacio de los Santos, Manuel Narciso Gonzalez, Francisco Gonzalez, Eustaquio Torralba, Manuel Ramirez, Jose Ramirez, Antonio de Torres(タルレガが使用)...........。
●フランスでは有名なところで、ラコート、ラプレヴォット:Etienne Laprevotte(1799〜1860)はアグアドも使用。ルポ(1773)、シャピー(? Chappuy/1774)、プレイエル(1809)、グロベール(1820年頃)、ヘンリー・カーネギー・カルドン、エラールなど.....。他にフランスのF.ルードロフやD&Aランドルフ(D&A.Roudhloff)、ユールなど。マルカール(1840年頃活躍)はラコートブランドの楽器やラコートのスタイルの楽器を作っていたと言われています。グローベル(19世紀初頭:Grobert)のギターはパガニーニやベルリオーズも使用。プチジャンPetitjean Laineは18世紀から19世紀、モーシャン(1850年頃にミルクールで活躍)、Mouset その他多数........。
●ウィーンで活躍したギター製作家としては、ヨハン・ゲオルク・シュタウファー(1778−1853)とその息子のヨハン・アントン・シュタウファー(1805−1843年以後に没)。他にもフランツ・ファイルンライター(1815年頃)、シュタウファーの弟子のアントン・フィッシャーなどが挙げられます。ウイーンやドイツにはフランスやイタリアの優れたギターを吸収しようとした工房が数多く見られ、シュタウファーもまた初期はイタリアのファブリカトーレのコピーモデルを作ったりしていました。本来、ウイーン界隈では610mm程度の現長でネックも細くロワブーツのコンパクトなダルマ型のボディが主流でしたが、のちにシュタウファーは演奏家のルイジ・レニャーニの協力を得てネック脱着式で高音域の張り出した独自の「レニャーニモデル」を確立し、大人気となりました。ヘッドの片側に並ぶインラインタイプの糸巻きがギターに採用されたのもこの時期。※現在ロジャース社(英)でレプリカを入手することも可能ですが当時の糸巻きはもう少し軽量でカバープレートも多少薄く、装飾の彫りも細く緻密です。ロジャース社のものはプレートがやや厚すぎでパーツの寸法も異なります。
●イタリアではナポリのファブリカトーレ一族(フランスやウイーンに大きな影響を与えた)を筆頭にトリノのガエターノ・ガダニーニ、ナポリのガリアーノ兄弟、ヴィナーチャなど...。1810〜20年頃にはすでに比較的ワイドなボディを持つ楽器がナポリでは多く製作され、弦長も660mmを超えるものや、21フレットモデルもありました。ファブリカトーレのスタイルはドイツやデンマークやウイーン界隈の製作家たちの多くが影響を受け、そのコピーモデルを盛んに製作していました。従って19世紀前期のウイーン界隈にはイタリアンスタイルのギターが多く残っているのです。
●ラコートと工房を共にしていたといわれるのがラプレヴォットといわれており、ラコートの弟子というわけではなく、同じ材料やボデイのシェイプを持ちながらもヴァイオリンの製作法を基本とした当時としては特殊な(例外的な)ギターを製作していました。私的にはラプレヴォットのアーチトップ的な構造は気に入っています。また、ユールはラコートの弟子といわれ外観は師匠と区別がつきにくいほどよくできています。ラプレヴォットやユールの写真はびわりんさんのホームページにも掲載されています。ラコートが当時の製作家に大きな影響を与えていたことは事実でグローベルなどの製作家に類似点を多く発見できます。フランスでは1800年代初頭にはすでにラコートはスタンダードだったようで、その影にさえぎられてラプレヴォットはあまり知られていませんが、現在弦楽器の歴史研究家のあいだではラプレヴォットとラコートは並んで賞賛されます。ラプレヴォットはギターの構造の点で意外な試みと大きな業績を残しました。ラプレヴォットはそれまで何百年も続いた横平行バーによる表面板の構造を縦方向の2本バーで製作しました。表面板も極厚で、裏板もヴァイオリンのようなアーチでバーを1本も持たないのです。しかもボディは表面板と裏板は平行(側面板が全域で同じ幅)になっていたりします。やがてこのラプレヴォットのスタイルは19世紀末から20世紀にかけてオービル・ギブソン(Gibson社の創始者)がアーチトップギターを生むきっかけとなったともいわれています(注:その他にも19世紀以前にはアーチトップのギターは存在した)。
●プチジャン(Petitjean Laine)はミルクールの製作家で18世紀から19世紀にかけて6コース(12弦)のギターなども製作しており、イタリア・ナポリのファブリカトーレ一族がそうであったように5複弦から6単弦への橋渡しをした非常に重要な製作家です。プチジャンは18世紀から19世紀初頭まで非常に高品位な楽器を製作したことでも知られています。
●著名な演奏家達(F.ソルなど)は19世紀後半、ヨーロッパのみならずロシアへも遠征して影響を与え、ロシア現地の製作家によってコピーモデルが製作されます。ロシアンギターはヨーロッパ各国の影響が混在した楽器も少なくないのです。ロシアンギターの特徴は一般にウイーン・ドイツスタイルかもしくはドイツ+フレンチの特徴を兼ね備えたものが大半を占めましたがのちに多弦化と高域フレット拡張という、つまり音域拡大の世界へと突入します。それまでのロシアンギターは7弦が一般的といわれていますが、じつは7弦ギターのなかにはイギリスのシターンとイングリッシュギターからの派生がありました(EADBGE調弦ではない)。 ボヘミアからヨーロッパの東側は19世紀後期〜20世紀初頭にかけて膨大な数の多弦ギター(10弦、13弦、ツインネック、トリプルネックなど)が製作されました。北欧ではテオルボギターのような多弦ギターを見ることができます。オランダやベルギー界隈(旧ネーデルラント)でも独特の多弦ギターが見られます。19世紀後期は様々なカタチにギターが変化を遂げた時期でもありました。その後20世紀初頭にかけての古楽器の復興運動の波によって多くのリュートギターが盛んにドイツ界隈では作られることになります。
●マーチン(ドイツ人でのちにアメリカへ移住)はどうなのでしょうか? そうです、しっかり19世紀に活躍したギター製作家の一人です。もっとも後記のトーレスと同様、今回のテーマは主にガット弦で小柄なボディを持つものに注目しているので、スチール弦の草分け的マーチンについてはいずれ別にワクを設けてあらためて取り上げたいと思います。現実には私たちが19世紀のオリジナルギターを探しているうちにマーチンスタイルやアメリカンパーラーなどのスタイルの似通ったギターにでくわすことが多いのです。う〜〜ん、ひとまずざっとマーチンの略歴をここに記しておき、参考にしていただくことにします。
・1796年、C.F.Martinはドイツの楽器作りの街として知られたマークノイキルヘンに家具職人の息子として生まれます。当時はギター製作とその普及は家具職人によって確立されつつあったのですがヴァイオリン製作家のあいだではそれを軽蔑の目で受けとめ、楽器作りはヴァイオリン職人組合のみが製作するべきと主張し、家具職人とのあいだで争いが起きていました(今考えればとんでもない偏見ですが生活を守る時代)。1811年にマーチンはウイーンのシュタウファー工房に弟子入りし14年間修行し、その後故郷でギター作りをはじめますが1833年にギター製作の争い(家具職人と従来のヴァイオリン製作家)から逃れるようにドイツからアメリカへ渡りニューヨークに楽器店を開きます。管楽器やヴァイオリンを販売しながらギター製作(もちろんシュタウファーモデルも作った)とマンドリン製作をはじめます。マーチンも一時期はバロックギターのようにボデイが細くくびれ(ウエスト)の浅いギターも製作していたようですが楽器のスタイルが大きく変わったのは1840年頃で、おそらくは当時のフランスやイギリス(アメリカも?)といった様々な楽器を研究した結果と思われ、ボディを厚くして上部が狭くお尻の大きいフォルムのギターへと変化していきました。もちろん当時はガット弦のギターです。スチール弦の楽器が作られるようになったのはGibsonもMartinも1900年初頭からといわれています(諸説あり)。当初からマーチンは他の楽器店のラベルやブランドで依頼されてギターを製造していましたが、1916年頃にそのひとつであるオリバー・ディットソン社の提案で6種類の異なるサイズのフォルムを提案され、そのうちの大きなものがドレッドノート(Dシリーズ)として、のちのマーチン社のフラッグシップモデルへと成長していきます。以降、スチール弦の楽器は伴奏主体であったものが旋律やハーモナイズ手法の進化とともに演奏スタイル(それにつれてギターの構造も)は変化してきましたが、基本的に現在のスチール弦ギターはマーチンの影響を強く受けています。言い換えれば現代のスチール弦ギターはマーチンが師匠であり、マーチンの師匠は19世紀のシュタウファー、さらにシュタウファーがお手本にしたのが18世紀ナポリのファブリカトーレだったというわけです(←かなり大胆に解釈)。マーチンは様々な19世紀ギターをモチーフにして異なるスタイルの楽器も作っていたようです。かのX ブレイシングも19世紀のランドルフ(ルードルフ)のような19世紀以前のXブレイシングを模したものであると私は考えています。
備考:「ドレッドノート」は1906年に製造されたイギリスの超大型戦艦。いわゆる超弩級という言葉の「弩」はこの戦艦の名前からの当て字です。
●じつは、スペインのアントニオ・デ・トーレスも19世紀の製作家(1817〜1892/セビリア)なのですが19世紀後期に活躍したということと、楽器のスタイルがまったく異なり、モダンギターの草分けということで今回は作品を紹介しませんでした。今回特集している19世紀のギター黄金期は1850年頃から衰退していきますが、トーレスは運悪くそのころセビリアに工房を開きました、おかげで売れなくて食べていけずしばらくギターは作りませんでした。陶器を売って生活していたのです。本格的に製作を再開したのは1875年頃から没するまでの間だったのです.(この期間は第二期と呼ばれ約160本を製作).... 苦労したのよ。そうするうちに19世紀末期からタルレガ達によって6単弦ギターの第2黄金期を迎えることになります。セゴビアは大きなボディのギターにナイロン弦を張り、編曲に精を出してギターレパートリーを増やすなどモダンギターの普及とソロ楽器としてのギターの地位を高めることに貢献しました。しかしその一方では19世紀以前のギターや古楽器を完全に否定し駆逐していったことでも知られています(逸話が多数残っている)。
■ ラコートスクールについて
|
前記のようにラコートは工場生産(パーツ類も分業)で当時としては大規模にギターを作っていたわけですが、製作された楽器のすべてにラコートのラベルが貼られていたわけではありません。なかには無名の楽器の状態で販売店に納められその店のラベルを貼られたり、あるいは無名のまま販売されていたようです。ですから現在残されているギターのなかにはラベルの無い(貼られた形跡すら無い)ラコートが多く存在するのです。
ラコートは部品を外注していたためにギターとして組み立てられる場合には各パーツの仕様が時として変更されることも多かったようで、ペグやブリッジ、エンドピン、ヘッドの形状に至るまでいくつかの異なる形状や寸法のパターンが見られます、もちろんそれらはれっきとしたオリジナルのラコートなわけです。このことは後世で修復されたりコピーモデルが製作される際に少なからずとも混乱を招いているようで、ブリッジとボデイスタイルがちぐはぐな組み合わせになったりしており、製作家や研究家は可能な限りの資料を集め多くの楽器を見て分析することが望まれます。
パリやミルクール周辺ではラコートの弟子や友人達が構造・材料・装飾に至るまでラコートと同じスタイルの楽器を製作していました、逆にいえばラコートの刻印がなくても全く同様の楽器であることもしばしば......。念のためいっときますが、ラコートスクールはラコートのニセモノではありません、これらはれっきとしたラコートファミリーであり、ラコートそのものであることもあります。むしろ現在売り買いされる値段を考えればLacoteラベル付きオリジナルギターの半額から1/3以下の場合も多く、ちょ〜お買い得だったりします(笑)。但し、忘れてならないことはスタイルが類似しているだけではラコートスクールとも呼べないということです.....。
■ パノルモファミリーについて
|
●Vincenzo Trusiano Panormo ルイス・パノルモのお父さん ●Francis Panormo 長男 ●Giuseppe(Joseph) Panormo 次男 ●George Panormo 三男 ●Lewis Panormo 四男 |
●Vincenzo Trusiano Panormo(ヴィンチェンツォ・トルジアーノ・パノルモ) ルイス・パノルモのお父さん! 1734年11月30日、シシリア島パレルモ近くのモンレアレ生まれ。 クレモナで楽器製作を学ぶ。ストラディヴァリ・タイプのヴァイオリンを製作し高い評価を得る。 彼が製作したギターは、ストラディヴァリの伝統を引き継いだ 最後の世代のバロックギターといえる。
●長男は、Francis Panormo(フランシス・パノルモ) 1763年、生まれ。フルート奏者としてパリで演奏活動をし、ロンドンへ移ってからはピアノや 音楽の教師として有名(たぶん楽器製作はしていない) 。
●次男のGiuseppe(Joseph) Panormo(ジュゼッペ・(ジョゼフ)・パノルモ) は1768年ナポリ生まれ。ロンドンではイギリス名の「ジョゼフ」を名乗る。 彼は友人のF.ソルから助言を受けて優れたギターを製作した。 この息子がEdward Panormo(エドワード・パノルモ)といいLouis Panormの工房で働いた後、1839年にソーホーに工房を開く。 Edwardは1860年、ブライトンに工房・楽器店を開くとともに、Edward自身もオーケストラで ヴィオラを弾いた。
●三男はGeorge Panormo(ジョージ・パノルモ)1772年(or1774年)、ロンドン生まれ。 四男のルイスの工房で楽器を製作した。ギターも多く製作したが、クレモナ・タイプのヴァイオリンも製作している。 のちにGeorgeの2人の息子George Lewis Panormo(ジョージ・ルイス・パノルモ)1815年ロンドン生まれとCharles Panormo(チャールズ・パノルモ)はLouis Panormoの工房で働いた。 George Lewis PanormoはLouis Panormoがニュージーランドへ移った後は、 彼の工房を受け継いだ。
●Louis Panormo(ルイス・パノルモ)。四男でありながらもその製作した楽器は世界的に高く評価された。晩年ニュージーランドに移住。
|
一説によると:パノルモヘッドのプロポーションのよく似たギターが、グラテルというミルクールの製作家によって製作され、イギリスに出荷されていたようなのです。BAKERの糸巻きもグラテルが最初に使っているらしい。この製作家は、ラベルを殆ど貼らなかったらしく、殆どが"変なパノルモ”と言う鑑定になってしまうらしいです。
■ シュタウファースクールについて
|
よく混同されるのがロシアンギターでして、7弦であってもギター調弦ではないという楽器もあるのです。
よく混同されるのがロシアンギターでして、7弦であってもギター調弦ではないという楽器もあるのです。
|
● 楽器を入手するときに、ひとまず製作者名や年代ぐらいは知りたいのが人情というものですが、あまり有名でない製作家であっても出所のわかっているもので音の気に入ったもの(あるいは弾きやすく耐久性のありそうなオリジナルコンディションに近いもの)が狙い目ではないでしょうか。そういったものは安価で有名な製作家の楽器よりもはるかに安価。逆に有名な製作家の楽器は状態が悪くても高価だったりするわけですから。
● ラコートスクールやドイツ・ウイーン系のギターは価格的にはオススメです。なかなか判断が難しいですが多くのオリジナル楽器を見ることで目を養うことも必要です。ラコートスクールでは独特のパフリング(おもにクジラのヒゲ)の精密さとブリッジの形状、バーの形状や構成パターンなどが特徴です。ドイツ・ウイーン系のギターは糸巻きが8の字型のものや3連x2のものは以外と安価で入手できることがあります(とくに後期のもの)。ノーラベルのものでも非常に状態の良い楽器はたくさんあります(私の経験的に)。
● わが国日本では特にブランド指向が高いようで、どうしても御三家ばかりが注目されてしまいます。世界的に見てもこの10年ぐらいで19世紀ギターは再注目されているせいか高騰の傾向にあります(1970年代にはほとんど相手にされていなかったようですが...)。
● M.ジュリアーニ、N.コスト、Fソル、アグアド、シューベルト、パガニーニ、ナポレオン・コスト....といった有名な演奏家の使っていた楽器とはうらはらに、無銘でも優れた楽器は多く存在するのですが、もしあなたが投資の対象?としてお考えなら無銘の楽器は説得力(リセールバリューとか)に欠けるかもしれません。お金持ちであれば堂々とファブリカトーレもしくは御三家をゲットしましょう(笑)。
● さて次にこの「19世紀ギターの世界」では様々な製作家についてその楽器の紹介をしています。次の第6章の楽器紹介コーナーを御覧ください。