■ 指板貼り替え及びリフレット
● さ〜〜て、おそらく世界中でも数人しか楽しみにしていないであろうと思われる当サイトのリペアコーナーですが、今回は指板(フィンガーボード)の交換作業を御紹介します。ひとことで指板交換といっても実際にはフレットの打ち換えやナットの交換、弦高調整といった作業もセットになってしまうのが普通です。しかも私が扱う楽器は新しくても100年以上経過したものがほとんどですから指板周辺の表面板亀裂やブリッジの交換、ジョイント部の塗装、場合によってはネックのリセットや力木の修正、糸巻きの調整・交換........などといった作業に至ることもバシバシで....おっと、しばしばで、指板とフレットだけのつもりで修理作業をはじめても気がつけばいつのまにか全体に手が及ぶことがほとんどです。
さて、今回の楽器は御覧のとおり一見すると、ごくフツ〜のギターに見えますが.......。
・まずはじっくり観察(これキホン)。
まず注目すべきはネックと指板の接着面。古い楽器では指板が極度に摩耗してへこんでいたり(そこまで弾き込まれた楽器はシアワセ者です)、あるいはフレットや指板の交換がなされていたり、あるいは指板がネックから剥がれていることがあります。このギターの場合はよく見ると指板はいったん貼り替えられ、後年さらにもう一枚の指板がその上から重ねて貼られているという、いわば二枚舌?な楽器です。ボディの傷も多いため、だいぶ可愛がられた楽器のようです。
この時点で弦高やフレットやネックの反りもよく観察しておきます。フレットは象牙のバータイプが打たれていますがこのタイプの楽器では金属フレットであった可能性のほうが高いです。ここの2枚の指板のうちネック材に近いほうがオリジナルとも限りません。弦長から計算してみるとフレッチングは両方の指板とも狂っています。ちなみにこの指板の材質はメイプルで黒色に染めたものです。19世紀ギターにおいては指板の材質もじつに様々で黒檀のほかメイプル、ローズウッド、ペア(洋なし)、その他の果樹材料も広く使われていました。今回は時代とスタイルからみて黒檀かメイプルが考えられますが黒檀材で交換することにします。
もう少し観察してみましょう。この写真を御覧ください。
12フレット位置が修正されていますが、過去の修理において「12フレット」はボディジョイントの位置にあると思いこんでいた修理主によってフレッチングされ、結果的に音程が狂い、それに耐えかねたプレーヤは再び12フレット位置をずらして打ち換えたもようです。19世紀(あるいはそれ以前)のギターにおいて12フレット位置がボディジョイントの位置の前後に配される(多くはサウンドホール寄り)ことはむしろ一般的でしたから、この部分の修理は誤りということになります。12フレットの位置は弦長やブリッジ位置(音色)やボディ形状との関係が深いのです。弦長はこのギターでは628mmが正しいのですが、過去の修理主において「630mmでピッタリじゃん!」というようにキリの良い弦長に決めつけてしまったような楽器もよく見かけます。そしてまたリフレットにおいては弦を押さえたときのテンションの増加を見越して全体のフレッチングを決定してやらないとキモチワルイ音の楽器になってしまいます。フレットを持つ楽器では最も重要な部分です。
このギターのネックにも注目します(写真)。裏を見るとネックとヘッドのジョイントが1フレット〜3フレット位置にかけて斜めに接がれています。内部は複雑な接ぎ方ですのでのちほど写真で紹介しますが、この部分の接着剤が剥がれかけており、指板を剥がして再接着が必要です。ネックは全域に再塗装の痕跡があり剥離がかなり進んでいることと油性塗料のにじみと荒れが見られるのでヒールからヘッドにかけて再塗装が必要です。
このほか糸巻きは独特のデザインによるものですがストリングポストの破損が進んでいますし、ナットもデタラメなものが装着され、ブリッジも交換あるいは再接着されています。指板の高音部の表面板との接続部は両脇が割れており汚れが染みついています。その他破損項目や問題箇所は書ききれないほどあるのでひとまず省略して今回のテーマである指板を中心にさっさと解説することにしましょう。
【作業開始】
・フレットを除去。
楽器の状態にもよりますが、フレットは軽くひっこ抜けるものもありますし、しつこくて剥がしづらいものもあります。ここではスチームをかけてヤットコでやっとこ剥がしました。はじめに軽く水をフレット周囲に含ませ、アイロンをフレットのみに接すようにかけて局所的に加熱しながら作業します。
・指板を除去
指板を除去する方法はいくつかありますが、指板そのものをカンナで削り取ってしまう方法やヒーターを使ってニカワを溶かす方法、あるいはパレットナイフでアイロンを使って徐々に剥がす方法などがあります。
まずは水をしめらせた布をあてがって指板高音域にアイロンをかけ、2本のパレットナイフで徐々に剥がしていきます。スチームから表面板を保護するために紙テープを軽く貼っておきます(ボール紙をボディ形状にカットしてカバーすることもある)。作業中に熱で二枚舌があらわになったりして.....。
2枚舌指板のうち、まずは上層の指板が除去されたところです。木目の使い方にも注目。
あっ! みょ〜〜な位置に余計な溝(第2.5フレット?)が切られていますね(笑)。
・ネックのジョイント:ネックのジョイント部分。たんに斜めにカットして接着してあるのではなくテクニカルな接ぎです。ネックの材料はヘッド側もネック側もメイプルで、木目は指板面に対してどちらも柾目にとってあります。ヘッドのみが修理であとから交換されたことも考えられますが、オリジナルの可能性も捨てがたく、判断が難しい部分です。ナットの溝が何回もいじられていることからヘッド部分はかなり以前(あるいは製作当初)からこのネックに付いていたものとも考えられます。3本のピンを併用した接ぎは内部で凸型のほぞ加工がなされています、古い時代のイタリアのマンドリンやギターで見られる手法です。
はい、ひとまず指板の剥離作業を終えました。この剥離作業は1時間半ぐらいかかったでしょうかね。この状態において、長い物差しを使ってネックの反りの状態と弦高をチェックします。
・指板を剥がしたらまず各部の再チェックを行いながら補修作業を施します。
指板の高音部はたいていの古いギターではこのように両脇に亀裂を生じているのがフツ〜でありまして、テンションの高い金属弦が張られていたことをうかがわせます(事実この楽器が当工房にやってきたときは太いゲージのスチール弦だった)。このギターでも両側に大きな亀裂がありましたが程度によって埋め木等の処置を行います。中古の場合、比較的安価で入手した楽器であってもこのようなトラブルを抱えていることは多いので修理をショップに依頼すると結果的にはかなり高額になってしまうこともありますぞ、皆さんも御注意あれ....。
ヘッドとネックのジョイント部分にスチームをかけてギャップを広げておき、接着剤を流し込んで(ゆるい接着剤を用い、数回カクカクと動かして浸透させるのがコツ)クランプをかけ再接着します。
このギターは指板の接着されるボデイ表面板部分がだいぶ盛り上がっていますが、必ずしもトラブルによるものではなく、昔のギターのなかには故意に高音部をわずかに盛り上げた(反らした)ものもありますので一概に平坦にすればいいというものではありません。弦の振動の波腹と指押を考慮してのものであり、ヴァイオリンにおいても同様に指板の高音域をわずかに盛り上げて(順反り)製作されたものがあります。
・新たな指板を作ります。
黒檀(といっても今回は縞黒檀だ)と金属フレットの組み合わせにします。フレットの溝(スロット)を切るには写真のような治具があれば便利です(写真はウエーバリー社のスタンド)。指板は最初に長方形のままフレッチング計算(当サイトのフレット計算ソフト)してけがいておき、フレットソウでこのように溝を切ったのちにネックへ接着します。しかしまあ、製作家によっては最初からネックに指板を接着しておいて、あとから溝を切る人もいます。修理においてはこういった作業の順番(手順)はケースバイケースです。
この楽器の場合はまず溝を切ったあとにひとまずおおまかに染め作業をやることにしました(理由はいくつかありますが)。染めの方法にもいくつかの方法があります。よく見かけるのが墨、あとはヘアマニキュア、ヘマチン、ギター専用染料などが挙げられますが私は目留めも兼ねてセラックと顔料を使うことが多いです。
そして8フレットから17フレットにかけての高音部のフレットをさきに打っておきます。私の場合、修理作業は夜中に作業することもバシバシ...おっと、しばしばですから打ち込みといってもハンマーでたたかずに押しつけて行うこともあります(当然ながらかなり静か....でも手が痛い)。このときフレットの溝に水を含ませておくとスムーズに作業が行えます。但し、ネックに接着する前に完全にその水分を乾燥させないとあとでネックが反る原因になるので注意が必要です。ここでは水差しにパレットナイフを使いました。
高音域は作業がしづらいので接着前にフレットのバリを取り、面取りしておきます。高音部分にクランプをかけるにはなんらかのあて木が必要です、角材をボデイ内部に紙テープで固定してからクランプをかけます。
隙間無くピッタリに接着するのはけっこうたいへんです。接着剤はニカワかタイトボンドを使いますが接着剤をつけてズリズリとすりわせをすると比較的うまくいきます。クランプを極端に強くかけるとうねりが生じることもあるので注意します。指板は接着剤を塗ると反りが生じるので前もって水で濡らしてどちらに反るかを見ておきます。
・接着剤が乾いたらクランプを外してネックと指板のエッジをカンナで揃えます。そして1フレット〜7フレットまでのフレットを打ち込みます。その後はみ出たフレットのバリを取り、フレット全域の面を摺り合わせします。摺り合わせに使うブロックはR(ラウンドのぐあい)の異なるものを数種類揃えておきたいところですがわたしは2種類しか持っていません、あとは弾きながら仕上げていきます。オイルびき(私は薄いセラックを使うことも多い)して一段落。黒檀の指板は平面を出したものを使いますが節などの荒い部分はここで補修しておきます。指板も磨き上げてピカピカに仕上げることは可能ですがこういった楽器の場合はそこまでやるとかえって目立ってしまってミットモナイです。
・ネックの塗装
古い塗装の剥離には剥離剤という薬剤もありますのでそれを使えば便利ですが場合によってはシミになりやすいので注意が必要です。今回はネックの剥離はサンディングしています。だいぶ時間もかかり、めちゃくちゃ地道な作業です。だいぶ傷の多い楽器なのでネック裏に大きな窪みがありますがこういった楽器の場合は新品に戻すのが修理の目的ではないので私の場合は完全に埋めずに修理します。ネックの塗装は私はセラックを使いますが、演奏者によっては汗っかきの体質の方もいますから場合によっては他の塗料(ラッカーやカシュー)も検討します。ここでは染めに顔料を溶かしたセラックを使い、塗膜を重ねながらサンディングします。あとからクリアに近い塗料で上塗りします。っこでもネック全体を新品の状態まで戻すことは可能ですがほどほどのツヤに抑えるように仕上げたほうが違和感がないです。このタイプのギターでは指板とネックの境目が見えないように仕上げます。最後はナットを黒檀で作って各部の調整を行えば指板の交換作業はひととおり終わりとなります。
ちなみにこのギターは他の箇所の修理も含めて作業を終えるまで約2ヶ月を費やし、ようやく全体のリペアを終えることができました。あとは奏者の演奏スタイルに合わせて細部の調整を詰めていけばいいでしょう。