■ フレットのリペア(象牙バーフレット:マニア向け編)
● 今回は象牙のバーフレット交換をとりあげてみました。今回もまた、おそらく世界中で数名だけが目を皿のようにするであろうマニア向けの記事ですが、まあこんなものもあるんだと.......お気軽に御覧くだされ....。
フレットの断面形状と材質
この図は現代の一般的な金属フレットの断面を示したものです(すでに何回か紹介していますが)。現代の金属フレットの形状はおそらく30種類はあるでしょう。材質はニッケルなどの合金が一般的ですが堅さもメーカーによって異なります。ギブソンの極太フレットのように極端に頭の大きなものもありますし、指板に打ち込んだあとにフレットフィル(成型用専用ヤスリ)で削ることもあります。摺り合わせをすれば頭は平坦になりますがフレットフィルで丸めることも可能です。弦に接する面積(一般にいうフレットの太さ)は音の芯の太さや弾弦時の音の立ち上がりに影響します。指板に埋め込まれる部分は図のようなトゲの付いたものが一般的ですがフレット溝の幅をきっちり切っておかないと不具合が出ます。溝が広いと弦振動は伝わりにくいですがのちの修理は楽です、逆に溝が狭いと弦振動は伝わりやすいですが完全に埋め込みにくく修理で外しにくいということになります。
さて次図は私が今まで修理した数十本の18世紀〜20世紀初頭のギターで、装着されていたフレットのうちおそらくオリジナルであろうと思われるものをまとめたものです。他にもあるかもしれません。ヘッドの形状はバラエティに富み、材質も象牙のほかに鉄、真鍮あるいは真鍮や銅などの合金、あるいは何だかわからない金属なんてのもみかけます。象牙のフレットも非常に多くみかけますがたいてい摩耗しきっています。フレットの溝も広がってしまったものが多く(交換歴のあるもの)、オリジナルの溝であっても溝幅が均一でないことがあります。溝のキツさによる弦振動は前記と似ていますがバーフレットは指板にフレット全体が密着するので振動伝達特性は優れているといわれています。修理では剥がすのも接着するのもさほど難しくはありませんが溝の「深さ」や不均一な溝幅に注意しなければなりません。古い金属フレットの場合はツメは付いていないかもしくはニッパのような刃物で手作業でツメを付けてから打たれていました。
修理の前のウンチク
象牙のバーフレットを持つギターの多くは指板の構造がフラッシュボード(リュートのそれと似た)のタイプかもしくはファブリカトーレスタイルであることが多いです(もちろん指板が表面板上にのっかっているギターで象牙バーフレットは使われることもある)。
今回フレットを打ち替えるのは次の写真の左側のファブリカトーレスタイルのギターです。ファブリカトーレスタイルといってもここでは指板が表面板と同じ平面で延長されているもの(次の2つのギターの指板を参照)を指します。このギター、すでにフレットのいくつかは紛失し、残っているフレットも激摩耗しています。
注釈:ファブリカトーレはイタリア(ナポリ)の製作家で19世紀初頭にギターを最初に6単弦化した人物ともいわれている。のちに著名な演奏家たちによってその楽器はヨーロッパ各地へ伝わり、とりわけウイーンではシュタウファーなどがファブリカトーレのコピーモデルを盛んに製作していた。従ってフレットが高音域で指板に対して順次狭く配置されるタイプのギターはイタリアとウイーンを中心に二極化されて多く見られるようになるわけである。マーチンの師匠がシュタウファーとするならば、さらにシュタウファーの師匠はファブリカトーレといっても過言ではない。
作業前のチェック
紛失したいくつかのフレットは仕方がないとして、残っているフレットですが、高音域をじっくり観察してみると交換した痕跡がありません。低音域のいくつかは交換されていて、フレットの溝幅も広がっているものがありました。バーフレットはいじった痕跡がなければ交換は比較的容易です、逆に修理歴(悪い修理)のある場合は非常に厄介です。フレット溝の幅の拡張と深さの違いなどもあって平行なバーフレットをそのまま打ち込めず、削ってバーにテーパーをつけるなどといった工夫が必要となります。
今回のギターでは上記のほとんど全ての問題を抱えています。結局、摩耗のひどいフレットも含めて全フレットを打ち替えることにしました。あと、ネックがやや順反りになっていますので本来なら指板を削るなどの調整が必要ですがあとでヒーターを使って反りを矯正したほうがいいでしょう。それにしても指板周辺が再塗装によってかなり汚れています.....。ちなみに12フレット位置がボディジョイント位置よりだいぶサウンドホール側にあることに注目(写真参照)。18世紀のスタイルのギターは11フレットジョイントが多いですね。
フレット交換作業
【準備するモノ】
・アイロン
・水
・水差し(今回は注射器)
・ヤットコさっとこ
・象牙フレット材(ピアノ用がベスト)
・パレットナイフ
・高田元太郎氏のCD(今回のBGM用)
まあ、すでにフレットについては過去の修理記事で紹介していますが....。フレットに水を差し、しばらく放置してゆるくなったバーからヤットコさっとこ剥がしていきます。オリジナルのフレットは簡単に剥がせることが多いのですが後の時代に交換されたバーはたいていきついかゆるすぎるかのどちらかです。剥がしたバーの溝には接着剤が残っているのでパレットナイフを使って溝に水を差しながらふやけるのを待ちます。高田さんが見てるから気合い入れていくぞ〜〜(^_^)/
古い接着剤がやわらかくなったら溝から除去します。つまようじかスクレーパ、もしくは溝掃除専用ナイフ(Stewmacなどで売られている)を使います。御覧のとおり弾き込まれて指板は摩耗していますが例によって私はこれをきれいに修理しません。現代のギター修理のセオリーではスクレーパプレーンで指板修正してから新たなフレットを打ちますが、こういったヒストリカルな楽器では下手にいじらないことも重要です。指板は摩耗し、うねっている箇所すらありますが今回はフレットの高さ調整のみで対処します。ちなみにこのファブリカトーレスタイルのギターはラベルがありませんが指板はペア(洋なし)を黒く染めたもので、ボディ各部も含めてシュタウファーが全く同じ仕様のギターを製作しています。
高音域のフレットはこのままでも使えないこともないのですが傷があったり傾いているバーもあるのでやはり全交換します。ついでに指板周辺の過去のヘタクソな塗装をやりなおしておきます、だいぶ綺麗になりました(前の写真と比較されたし)。
今回あえて象牙フレットのリペアを紹介したのには理由がありまして、象牙材の加工と接着がポイントなのです。今回のように象牙バーとする材料は全交換ではかなりの本数になります。以前紹介したように大和マークさんに特注した骨のバーでもいいのですが、入手可能であればピアノから採取した古い象牙鍵盤がお薦めです。白鍵の長い部分を使います。厚さがちょうど良くてしかもわずかにテーパがついていてフレット溝が拡張されて傾いている場合でもフィットさせやすいのです。私はアメリカの個人からピアノ鍵盤を手配し、個人輸入しました。ここで使っている象牙鍵盤は19世紀のピアノから採取されたものです。
1つの白鍵から少なくとも3本の象牙フレットバーを切り出すことができます。指板の幅が狭いギターであれば1枚から6本のバーフレットを切り出すことも可能です。切り出し作業は篆刻用のホルダーと自作作業ジグ(たんなる木製ブロックだが形状に工夫がある)を使います。糸鋸はジュエリーソウです。厚さは約1.3mmと薄いので切り出し作業は比較的簡単です(枚数が多いのでめちゃくちゃ時間がかかるけど)。
長さや溝の形状に応じて象牙バーを切り出したら指板へそのつど仮組みしていきます。フィットしない箇所は何回でも削り直します。入れ換えができないので仮組みしたらこの写真のようにペンでマークしておきます。あとでバラバラになっても順番や向きや裏表が入れ替わらないようにするための工夫です。
そしてもうひとつのポイントは接着剤です。バーフレットの場合はヒストリカルな接着剤はニカワですね。しかも今回はマニア向けに?ロシア産チョウザメ浮袋のニカワを使います。次の写真は水にひたしてふやけるのを待っているところです(おおむね5〜6時間)。ちょっとおいしそうです......チョウザメのニカワは溶けると透明に近い白濁した粘質となり臭いはほとんどありません。 柔らかい状態の時間が比較的長いので作業しやすいです。まあ、私はふだんは野ウサギの骨皮ニカワで作業してますけど今回はニカワのテストも兼ねて特別なのです....。タイトボンドじゃダメかって? いちおう同様の接着は可能ですが乾いてもタイトボンドは柔らかいですし硬化収縮時の引き締め効果が圧倒的に違います(なんだかニカワのセールスマンみたいだなぁ)。
あとは溝の深さをチェックしながら各フレット溝に合わせて接着していきます。同じ条件の溝は2つと無いので根気のいる作業です。ニカワで接着して硬化・乾燥を待ちます。御覧のとおりニカワの温度保持にはベンディングアイロンを流用した TSULTRA GLUE POT が大活躍です、もうこれ無しでは作業できないほど気に入ってます)。
はい、そろそろ作業を終えます。サンディングブロックで摺り合わせを行います。フレットの摺り合わせで使うサンドペーパーは最初に180番、そして320番(400番)、800番、1500番の順です。弦を張り、あとは調弦してテンションをかけた状態で弦高を見ながらフレット高を決めていきます。やはりネックの反りのせいで弦高は高いですねこりゃ....。ナットを作り直し、全体の塗装を補修し、ボディ内部や各部をチェックしてひとまずリペアを終えます。この楽器、なかなかよく鳴ります。ボディや各部のダメージが少なく、傷こそ各部にありますがネックの反り以外のコンディションはなかなかのものです。
オマケで紹介しますが写真右側が今回のフレット交換ギター。そして左側はオリジナル1833年製のファブリカトーレのテルツギターです。