■ 金属バーフレット打ち直し:19世紀中期スペイン(Manuel Lopez [CADIZ 1856年])
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弦楽器において「ヒストリカルコピーモデル」、なんてエラそうな名前を付けて売られている楽器のなかには、とうていコピーと呼べるようなシロモノではなかったりするのが現状です.....
。これは製作家や製造会社だけでなく消費者たるユーザ(奏者)側にも原因があります。ギターに限らず、リュートもチェンバロも、ヴァイオリンであっても同様。ヴァイオリンなどは「これのどこがヒストリカル? 塗料の剥げや傷を再現してどうすんの?」などと思う今日この頃です。ギターに関していえばフレットひとつとっても、繰り返し述べてきたようにバーフレットを真面目に採用している楽器製作家は世界中数えても希でしょう。
去年(2007年)、ブラギーニャ・ヒストリカルコピーモデルの指板とフレットを製作中に「これがT型のモダンフレットだったら1時間で作業を終えるのに....
」などと、不謹慎な小言をいいながら5日間かけて仕上げたものです。同じ年にRaffaele
Fabricatore
のヒストリカルコピーモデルもバーフレットを用い、過去の修理や修復でも必要があるモデルについては手間を惜しまずバーフレットで作業したものです。しかし展示会ではそんな部分的なトコロをこまかく見るお客さんも限られていたりするわけで、なるほど、これではなかなか認知されないんだろうなぁ......
なんて思いながら、今日はこのページを書いています。
今までバーフレットの復刻ということで工場に依頼して製造してもらい、当サイトでも販売していたのですが、ようやく在庫が底を尽きそうです。それはそれで嬉しいことです。ちゃんと使っている人がいる証拠。1.0mmと1.2mmの厚さを用意していたのですが、じつは楽器によってはその厚さでは使えないものもあります。ナポリやスペインの楽器のなかには厚みがもっと薄いいものや、ポジションによって厚さを段階的に変えねばならないものもあります。そうなると工場に頼らず自分で板から切り出すことになるのであります。
● というわけで、今回のテーマは「面倒がらずに、採算を無視して、まじめにバーフレットを作ろう」です。
この「リペアでおじゃる」のコーナーでは過去にフレットに関する記事もありましたし、製作記事でも紹介したことがありましたが、今回は復習とまとめと再確認のつもりで書いてみました。今回の楽器は1856年にカディス(スペイン)で製作されたManuel
Lopez です。さて、説明にはいりましょう......
・入手した当時の指板とフレットの状態
オリジナルのバーフレットは数本のみ残っているものの、ほとんどが欠損しています。ポジションによっては木製のバーフレット(加工が容易)がねじこまれています。わずかに残っている当時のフレットも摩耗が激しいです。幸いにも指板自体は傷があるものの反りは微少であるため、指板面の切削平坦化は回避できそうです。
(1)埋め込まれた木製のフレット(メイプルらしき材)は掘り出します。当時の金属フレットは摩耗しきっていますが、引き抜いて捨ててはいけません。使えるものは修正して再度埋め込んで使います。可能な限りオリジナルのパーツを使い、やむおえない箇所にのみ自作のパーツを使います。
(2)フレットの素材はスペインの場合は銅成分を多めに含んだ合金がよく見られますが、時代によっては洋白系の金属も用いられていたようです。今回の楽器は19世紀中期のものですが、後者に近い素材です。フレットの切り出しはバンドソーや糸鋸盤で切り出すこともできますし、金切ハサミで切ってもかまいません。以前の工房は防音がいまひとつで密集宅地であったので、音がうるさくて迷惑という理由から私は金切りハサミで切る習慣がついています。1本切るとクルリと指輪のようにまるまってしまいます。
(3)金属板の厚みが 0.8mm
程度までなら比較的カット作業はらくなのですが、それでも本数が増えていくと手が痛くなります。圧延すると弓状になるので、それを「刀取り」して真っ直ぐに形状修正。バーフレット作りが習慣化すると、これらの作業があたりまえに思えてくるから不思議です。糸鋸盤で切ったほうがはるかに早くてらくなのはわかっているのですが...
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(4)フレット用のプライヤでさらに形状を修正します。ブラギーニャは指板幅が5cm程度ですみますが、ギターはその倍ぐらいの長さで作っておきます。
(5)バリをヤスリがけして除去し、さらにサンドペーパで表面を荒らします。こうすることによって指板への接着がより強固になります。
一連の作業を1枚の写真にまとめると以下のとおり。私の修復する楽器、及び製作する楽器ではバーフレットの楽器の場合、こうやって1本づつバーフレットを作っています。
工房を2006年に移転してからは防音設備が整ったおかげで糸鋸盤でバーフレットを作れるようになりました。金属用の刃を使って耳栓しながら、たまに刃を折りつつ切り出しています。時間的にはこの方法がはるかに早いです。
あとは指板の溝を補修したのち、1本づつバーフレットを埋めていきます。難しいのは新作と違って修復では隣のオリジナルのフレットに調子を合わせることなのです。厚みはもちろん、端部の処理や先端のまるめかたまで違和感のないように削って磨く必要があります。高さ調整も修復の場合はただ平坦にならせば良いのではなく、指板のわずかな傾きやふくらみを考慮し、なおかつ弦高を測りながら作業します。とくに今回のギターはサドルを持たずブリッジの弦の結わえ目がそのまま弦高になるので(リュートと同様)、削っては測定し、また削って....と、慎重に作業します。あとでフレットの先端をまるめることを念頭に置いて目標値よりも若干高めになるように削ります。スッタモンダしながらこれらの作業を2週間ぐらいかけて行うのです。実際に弦を張り、弾きながら何度か調整を行って仕上がります。
さて、ここまで読んで「なんだ、とにかくバーフレットにすればいいんでしょ?」と思ったアナタ。まだ話は終わっていません。
今回はバーフレットの先端の仕上げの話をしましょう。過去のフレットに関する説明ではフレットの断面を単純な長方形で図示してきました。しかし実際にはもっとこまかい説明が必要なのです。フレットの高さはレベリングを終えた直後は真っ平らですので、バリを取り、なめらかに仕上げねばなりません。このとき、楽器の製作された時代や国や地域、製作家によって先端部の丸めかたも変えなければならないということです。例えば以下の
図・A のように断面が半円状の場合もあれば、 図・B
のようにエッジを落として面取りしただけに近い場合もあるのです。パノルモや一部のフレンチはやや前者をよく見かけますが、ナポリタンの場合は後者であることが多いです。ではスパニッシュはどうか? これが難しくて、過去に見てきた例があまり多くない(19世紀スパニッシュはオリジナルコンディションで残存する楽器が少ない)ので、なんとも断言しがたいのですが、やや
B に近い断面のように思います(但し、高音域はAに近い)。
そんなもの、どっちにしてもいいじゃないかって? とんでもない! これは大問題なのです。
フレットの修理といえばすぐに全部のフレットを引っこ抜いて、躊躇なく指板を削り、問答無用でT型モダンフレットを打つ人達にとっては違いが理解できないかもしれませんが、アーリー・マーチンを含むヨーロッパ全土のフレット楽器ではヒストリカルな修理・修復では必須にして不可避の問題なのです。弦とフレットの接触面積は楽器の音量、レスポンス、音の厚み、音の鋭さ、運指感覚、サスティーンなどに広く影響します。さらに忘れてならないのがノイズの問題。ヴィオル族の楽器と違ってギターの演奏が難しい理由がこのフレットのノイズ。T型断面をもつモダンフレットにナイロン弦を張った楽器では気付きませんが、バーフレットではノイズが出やすいのです。フレットの頭の面積の違いと弦の仰角に起因します。下図を御覧あれ。
左手で弦を押さえたときに、頭の丸いバーフレットではボディ側の弦とフレット先端部との隙間は大きくなります。対して角ばった頭のバーフレットではその隙間が狭くなり、ビリつきやすくなります。ナポリタンのギターでは装飾を含めてマンドリンのパーツを流用したことも多かったため、ギターのフレットに細いバーが用いられ、かつその先端部分が丸めていないフレットの楽器が多く現存します。上図の赤矢印が隙間を指しています。
加えて、ビリつきは弦の構造によっても差が大きいのです。現代のナイロン弦やカーボン弦ではビリつきは起こりにくいのですが、巻き線ではワウンドの経や間隔の違いでビリつきが顕著に現れます(芯材の硬さにもよる)。逆に考えれば、昔の楽器が
図・D
のようであったのですから、弦がビリつきを起こしていなかったのであれば弦の構造が現代のそれとは異なっていたということになります。私がバーフレットの楽器に弦を張るときはワウンドの太めのものを選ぶことが多いです。例えばゲージが同じ場合、ピラミッド社の巻き線よりもキルシュナー社の巻弦のほうがビリつきは起こりにくいです。ギターの4弦にルクスラインを積極的に使う理由のひとつでもあります。ナポリタンのような楽器を製作したり修復するときに、先端部を
図・C
のように丸めてしまえばビリつきも避けられてらくだと思うでしょ? でもそれは間違いなのです。ヒストリカルではない(当時に忠実ではない)のです。
ハタから見て、こんなくだらないことに私は日々真剣に頭を悩ませているのです。
残念なことに私が今まで見てきたおびただしいギターのうち、過去に修理されたものや、ヒストリカルコピーモデルと称された楽器の全てが、バーフレットの場合、例外なく
図・C
の構造でした。もっと良く当時の楽器を観察してまじめに取り組むべきではないのでしょうか。
このギターは入手した当時はヒドイ状態でしたが、ひとまず弾けるところまで修理しました。現在、私の工房で壁に吊して、ロゼッタなど残りの箇所の修復を待っている状態が続いています。楽器仲間が工房にやってくると、誰もがこの楽器に目をとめて「この楽器ナニ?
この存在感はいったいナニ? 譲ってくんない? いつ修復は終わるの?
コピーは作らないの?」....
などと質問攻めにあうギターです。スペインの6単弦初期のシェイプを持ち、3ピーストップ、木ペグ、サドルレスブリッジ... よくできた楽器は所有者がいちいち説明しなくとも、オリジナルのコンディションに近いほど当時の雰囲気を感じさせ、雄弁に語るものなのです。