■ ウィーン・スタイル (Ca.1850)
さて、今回もまた「とんでもなくぶっこわれた楽器を泣きながらなおそう」シリーズです。ドイツ〜ウイーンスタイルの19世紀ギターは私もいくつか所有したり修理も限りなくやりましたが今回の1本は壊れ具合に気合いが入っています。口ヒゲ(mustache)状のブリッジとボディシェイプ、そしてフィンガーボードの広域のカットなどの特徴からシュタウファーの影響を受けたであろうと容易に推測できるギターです。以下の写真で見る限りでは、まあネックもひとまず付いているし、割れを塞げば修理はオシマイだろう.....なあ〜〜〜んて甘く考えてしまいがちですが......現実の修理はタイヘンなのです。
今回は「修理前のチェック」、「修理作業過程」、「修理完了後の比較」といった段階的情報公開とでもいいますか、莫大な写真を分けて整理せざる得ないのであります。なにしろ作業を進めていくうちに予想もしなかったいくつかの事実や問題が噴出しまして、今回は非常に中身の濃い? というか、端(ハタ)で見ているぶんにはこんな楽しいことはないといえるコンテンツでしょう.....。さぁ、ワクワクドキドキリペアワールドのはじまりはじまり......。
【修理前のギター】
■ 修理前のチェック
このギターは修理前に何人かのギター仲間の皆さんに見ていただく機会があったのですが、あまりの汚さにあきれる者続出....。製作家の水原さんにリペアの意見をきいてみたところ、やはり裏板の大きな割れはそのまま閉じるのは困難でビンディングを使って裏板周囲の寸法不足を補うという方法はどうか、との御意見を頂きました、ありがとうございました(これについてはのちほど詳しく...)。
この楽器の内部にはラベルが貼られていました。写真にあるとおり Eduard
Heidegger さんの作かと思いきや、いくつかの資料やWebSite、その他よく調べて観察しつつ修理を終わってみるとやはりこれはリペアラベルに間違いないと確信しました。Heideggerさんオリジナルのギターとコレとは作風がゼンゼン違うということと、この人は製作と同じぐらい盛んに修理を行っていたこと、Heideggerさん以前と思われる古い修理の痕跡があること、Heideggerさんにしてはやけに地味な楽器であること、製作ラベルにしてはサウンドホールから見えづらい位置に貼られていること、いかにも切って貼ったっぽい簡易的なラベルであること....などが鶴田によるリペアラベル説の根拠です。ちなみにHeideggerさんはシュタウファーの弟子らしいです。文献を調べてみるとHeideggerさんはその昔、数々の楽器のコンクールで受賞するなど、19世紀後期〜末期を中心に活躍した製作家の一人だったようです。この楽器には20世紀初期と思われるの修理の痕跡も見られ、現時点では交換パーツや細部の状態から見ると謎の多いギターです。名付けて「なぞなぞ系19世紀ギター」........(ウチはこんなのが多い)。
まず、修理の作業に入る前に分解して楽器全体のダメージの度合いなどを入念にチェックします。写真を撮りつつ、メモをとりつつ....。
表面板はかなり汚れていますが、むしろ亀裂(クラック)の多さに圧倒されます。次の写真の緑色の線で描いてあるのが表面板に生じている亀裂箇所です。内部にはお約束のホコリの層が厚く堆積しています。以外とネックにはダメージが少なく、木目を見る限りではかなりオシャレで貴重なメイプル材を使ってあります。塗装しないほうがこのネックはカッコイイと思うのですがオリジナルは黒く染められていたようで、のちの修理で再塗装され、さらに数十年経過してそれが演奏で剥がれていったものと思われます。フレットは摩耗しているものの、ひとまず木ベグもそこそこ揃っていますので調整すればひとまず弾けるでしょう。フレットはT型断面を持つタイプですがブラス(真鍮)合金製で近年のものではありません。指板の材質はペア(洋ナシ)のようですが、かなりやせていてフレットの両端が飛び出しています(そのまま弾くと引っ掻いてケガをするぐらい)。柾目でとった証拠です。最初の写真でわかると思いますがヘッドはやや左に傾いています。ネックとヘッドは接いでなくネックメイプル材からの削り出しによるものです。ネックとヒールは塗装のため継ぎ方が不明確ですが木目から推測しまするに、おそらくここも削り出しによるものと考えられます。
口ヒゲ状のブリッジ(mustache)はすでにニカワが劣化してやや浮いている状態で、右側の一部分が割れて剥がれています。このブリッジの欠けた小片はじつは売り主がちゃんと袋に入れて同梱してくれていました。弦はシルクの芯にスチールらしき巻弦、そして高音側の弦はガット(羊の腸)がわずかに残っていました(素晴らしい)。ピンはおそらく全て非オリジナルでしょう。
ひとまず裏板を開いて中を確認せねばなりません。すでに内部ではバーが剥がれていることはわかっていますが、ちょっと緊張します....。いつものように部分的に徐々にスチームをかけながらタオルで保護しつつパレットナイフでじわじわと剥がしていきます。だいぶくたびれていたので裏板を剥がすのにそう時間はかかりません。内部はこんなかんじです。
裏板のバーは剥がしてぬるま湯でニカワを洗い流してやります。このギター、次の写真のとおり単純ななバー配置で、表面板にはわずか2本、裏板にはわずか3本しかありません。どのバーも一般的な19世紀ギターのものより太いです。シンプル・イズ・ベスト電器というべきでしょうか。でも、なんかいいなぁ、こう、こまかいことグチャグチャ言わなくて「2本もあれば充分じゃい!」と男らしい割りきり方が素敵です。バロック時代以前のギターにはたしかに表面板に2本のバーのみというスタイルは多く見られたわけですが、このギター自体は私が個人的なカンで推理しまするに1800年代前期〜中期のものではないでしょうか? だとすればHeideggerさんが生まれたのが1850年頃だったと思うのでやはり鶴田のリペアラベル説が強くなるとかならないとか.....。まあ、ほかに考えてみると1800年代末期に製作されてすぐに壊れてHeideggerさんがすぐ修理してそれでまた壊れて現在に至るという見方ができないでもないです....(笑)。
裏板:
裏板はかなりの回数開かれており、バーの剥離と再接着の痕跡が多く見られます。裏板の下部に見える2つの大きな長いシームは誰の修理によるものか不明ですがたぶんHeideggerさんではなさそうです。裏板のバーが側面板に固定される部分のライニングの切り欠き(次の写真の矢印部分)は必要以上に幅を持っていることと、裏板のバー接着痕がいくつか残っていることからも複数回の修理歴がうかがえます。ニカワもいくつかの種類のものが確認できます。Heideggerさんのラベルが貼られた状態で表面板が割れているので、表面板が割れたのはまず間違いなく1800年代末期〜20世紀初期、しかもそれ以来ほとんど弾かれず放置されていたもよう。しかもHeideggerさんのラベルが貼られたあとに裏板が割れていることと、割れた断面に接着剤の痕跡が確認できないため20世紀のうちに裏板を修理した者はいないのかもしれません。裏板はかなり割れのギャップが広いので当初は私も木目の綺麗な生木(なまき)を未乾燥のまま急いで使って製作されたのではないかと思っていたのですが裏板が割れた原因はどうやら他にあるようです。
表面板:
注意深く表面板を観察すると意外な事実を発見。なんと表面板は3ピース、つまり一般的なギターの表面板は2枚の板を接いで(ブックマッチってヤツね)ありますが、このギターは中央部分にもう一枚(約7cm幅)があるわけです。スペインの19世紀〜20世紀初頭のギターではよく見られる特徴です。次の写真に黒い線で示しました。製作では2枚のほうが手間が省けてよろしいかと思いますが、端材を集めて作ろうとしたのでしょうか? 他のギターでもいえることですが、昔の人は良い材はとことん使う習慣があったようで、現代のように木目や色合いで材を選ばず音響特性を優先して材を選んで大事に使っていたことがうかがえます。サウンドホール下のパッチは接着剤とパッチの新しさからみて裏板を開けたときの修理ではなく応急的にサウンドホールから手を突っ込んで貼ったものです(たぶんこの楽器修理歴では比較的あとになって修理された部分)。指板の高音域とボディの接着部周辺にはクラックとバーのハガレが確認できます。かなり指板が反ったのが原因のようです。
ブリッジ:
ブリッジはほとんど浮いている状態なので水分を含ませて若干のスチームをかけながら剥離します。次の写真のようにブリッジ周辺に強烈な亀裂と弾き傷が見られます。この割れ方だとおそらくブリッジのニカワがもろくなって浮いた状態でテンションの高い弦が張られたのかもしれません(口ヒゲ状の右先端が割れたのもおそらくこのとき)。ブリッジは黒檀もしくはそれに近い材料のようですが形状と剥がれた表面板の痕跡を比較するとピッタリ一致します、なおかつピン周辺にささくれ(修理で生じる表面板のわずかなハガレ)がほとんど見られないので、たぶんオリジナルでしょう(1回は再接着されているもよう)。表面板のブリッジの痕跡周辺をよく見ると黒い塗料のハケの跡が確認できます。つまりブリッジは少なくともなんらかの手が加えられ、再塗装されているわけです。
側面板:
思いのほか側面板にダメージは少なく、ウエスト部分に打痕が1箇所見られるほか、裏板と側面とのエッジがこすれた(あるいは削られた)箇所が多数....。むしろそういった修理痕を覆うようにテキト〜に塗られたニスがミットモナイ状態です。このニスはヴァイオリン系ですね。側面板は裏板のバーを固定する役目も果たしますが切り欠き部分はどこも拡張されていました。
裏板ピン:
ネックの付け根の裏板部分にはブロックに固定するための木製のダボ(ピン)が打たれています。あとで組み直すときに位置決めの目安にします。
さ、さあ、分解とチェックが終わったところで、いよいよ本格的なリペアへ......