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■ Title : 槍試合シリーズより:「モワ侯 アンリ・ド・ロレーヌの入場」 / Etching : Jacques Callot ( 1592 - 1635 ) / Ca.1627
さて、今回の弦楽器系版画はリュートです。
鶴田がようやく入手したのが今回の作品「モワ侯アンリ・ド・ロレーヌの入場」です。「槍試合」というシリーズのひとつです。
もちろんインクジェットプリンターのコピーでもなく、後世のリプロダクションでもなく17世紀当時に製作されたオリジナル作品です。
さすがに歴史的名手とあって少々お高いのですが、フランスの骨董屋さんから値切ってゲットました(笑)。
17世紀初頭のフランス(正確にはロレーヌ公国)の版画家ジャック・カロの作品。カロは画家ではなく版画家なのです。つまり有名な画家が自分の作品を販売するために版画工房や出版社に模作させる量販タイプの版画作品ではなく、最初から「銅版画作品」として制作したわけですね。
じつはこの大家も弦楽器がらみの銅版画をたくさん残しておりまする。
紙のサイズ:158mm X 245mm
版サイズ(プレートマーク): 152mm X 241mm
版上サイン:Jac Callot fe.
17世紀当時、宮廷内では御前試合ともいうべき大規模な槍の試合(実際には仮装大会?)が時折開催されましたが、カロはその記録係でありました。しかし、好奇心と野心に満ちたカロが真面目に写実的な記録などするわけもなく、一連の「槍試合」シリーズはそれらの出場者ごとに神話や伝説をモチーフとした大胆なアレンジで完成させています。基本的に巨大な獣や怪魚の「山車」に乗って登場するということなのですが ... ちょっとやりすぎぢゃない?(このへんが天才たる所以ですな)。
ここでは主人公のモワ侯はどこにいるのかわからないほど片隅に追いやられ、周囲の取り巻きが大活躍しています。オオトカゲに乗る騎士群の最後にいるのがモワさんでしょうか?
はい、それで問題の弦楽器です。 弦楽器が描かれているのはそんなモワ侯を盛り上げようとする楽団の皆さんです。数えたら大鷲に12人も乗ってます(乗りすぎじゃないのか?大丈夫か?)。
ひとつの集合作品のなかの一部分ですが、手慣れた筆致と優れたデッサン力でちゃちゃっ!と制作されています。素晴らしい。トラベルソやハープ、ヴィオルなどに並んでリュート奏者が2名確認できます。しかも一人は左利きです。楽団の人物の身長は約1cmで描かれているため、今回は楽器の詳細までは判別できません。なにしろ人物の顔の大きさが1mmぐらいです。弦は頑張って4本彫ってあり、ロゼッタやブリッジも省略せずに描いてあるところはさすがです。不自然になるものは略さずちゃんと描いています。逆にいえば最低限必要なものはキッチリ描いていあるわけです。
ついでに弦楽器がらみ以外の登場人物の拡大画像も掲載しておきます。画像クリックで拡大版も御覧ください。
砂時計を持って車を引いているのは時計好きならピンとくる、クロノス(ローマ神話のサトゥルヌス)でしょうね。
大きなカマを持っているので農耕の神クロノスというべきでしょうか? 山車のサイズは5cm以下です。女性の指先から足のつま先までが約2cmです。
二本足のちっちゃいドラゴンが一生懸命に車を引いていて可愛らしいです。
顔が小さくてやたらと手足が長いのもこの時代の特徴。山車を引く大型犬もやたらとスリムですな。
ジャック・カロは日本でいえば安土桃山時代/文禄にあたる1592年頃にロレーヌ公国(フランス北東部出スイスとの国境)の首都であるナンシーに生まれました。ナンシー / Nancy といえば19世紀に栄えたガラス産業でも知られていますね(今年の鶴田の年賀状にも登場)。
金物細工職人の元で修行したのち1608年にローマに出て銅版画を修得し、1612年からフィレンッエのメディチ家(コジモ2世)に仕えました。約9年の活動ののちコジモ2世の死去に伴い故郷のナンシーに戻りますが、フィレンッエ時代の作品や当時のスケッチを元に故郷で活発な作品制作を行いました。現在でも316点の原版が母国ロレーヌの博物館に残されており、カロの作品の多くが死後も幾度か出版されています(浮世絵でいうところの後刷りともいふ)。従って、模作や贋作も多いとはいえ、ホンモノも数多く残っているワケです。
カロの時代 16世紀、17世紀には著作権や限定/エディションの考え方はまだ普及しておらず、作家自身が売れ行きの良い作品を何度も増刷したり、他人がそれを模倣して出版することもよくありました。江戸時代の浮世絵と似たような状況ですな。カロもロレーヌ公国(ナンシー)に戻ってから、昔の自分の作品をまったく同じく彫り直して出版しています。
カロといえばハードグランドの技法を確立した人として世界に知られていますが、ワカイ頃は鶴田と同じぐらい熱心に勉強した人で、「線を交差させずに彫る」というじつにテクニカルな表現手法を編み出しました。個人的には印刷技術でいうところの網点の発想に匹敵する発明だと思います。
線が交わることなくどうやって曲線や陰影を描くのかって?
次の作品を御覧あれ(これも鶴田コレクション)。
「きまぐれ / CAPRICCI」シリーズより 騎士(仮題) 60mm X 80mm
1620年頃のフィレンツェ版 / 初版は1617年
はい、拡大版の画像がコレ。今回も老眼同盟の同志に大サービスぢゃ。
エスキースと実際の彫り方が並んでおり、恐ろしく細い線をチャチャッ!と描いていますな。
輪郭線こそ素朴な単線ですが、陰影の付け方に御注目。彫りの強弱と止め、ハネ、の調子で交差しているかのように見える箇所もあります。一度でもエングレイビング/ビュランで版画を彫った人がこれを見たなら「ひゃ〜!」なのですよ。ホント。しかもこの時代です。
ちなみにこの作品の版のサイズは 60 x 80mm ですからおおむね名刺サイズです。騎士の全高は約5cmです。時代はバロックへ向かっていますが、極端な人体表現とよじれにマニエリスムの影響が見られます。まさに職人技。コレ見てるだけで一週間お酒が飲めます。
銅板に塗布したハードグランド(一説では当時のリュートのニス)は引っ掻くことで防蝕層を削り溝を成しますが、その交差箇所はペリッ!と剥がれやすくなります。そこで、断面が楕円の刃物を用いて強弱を付けながら銅版表面の硬い塗膜をなるべく剥がれないように彫ったのです。よく見るとたしかに交差した線はありません。結果、カロ自身もその成功がたいそう嬉しかったようで、当時この小品集をコジモ2世に献上したほど、自信を得ていたようです。「きまぐれ」という名称もとくにテーマを固定せず実験的な意図があったがゆえと鶴田は想像します。工夫とひらめきと試行錯誤ですな。素晴らしい。
カロは
また、技法的には空間遠近法や超細密な群衆描写や複数回に分けてエッチングして濃淡を付けるなど、当時としては最先端を行き、世界中の版画家や出版社が追従し、こぞって模倣するほど影響が大きかったといわれています。
ジャック・カロは日本でこそ一般的には知られていませんが、フランスでは切手になったこともある国際的な偉人なのです。同時代のレンブラントはカロの版画のコレクターであり、作風の影響も受けていたことがわかっています。
・「槍試合」シリーズのもうひとつの作品「侍従長 ド・ブリオンヌ伯の入場」も掲載しましたので御覧ください。
【オマケ】
レゾネ編纂者リュールによるとカロは少なくとも1428点以上の銅版画作品を制作しました。しかし、レゾネ以外にも現存している作品があってもおかしくありません。コレなんかも候補のひとつ。これも鶴田コレクションで、かなり傷んでいます。テーマは突進する騎兵団ですが、線が交差しておらず卓越したデッサン力と巧みな彫りがみてとれます。馬の表現がすさまじい。これも名刺サイズなのです。しかし、畳一畳ぐらいに拡大しても鑑賞に堪える作品だと私は思います。すべての線の1本づつが巧みですな。
騎兵団(仮題)/ 作者不詳 50mm X 86mm
● 参考
・Wikipedia ジャック・カロ Jacques Callot ( 1592 - 1635 )
・文献
「CALLOT'S ETCHINGS」 Howard Daniel (著)
ジャック・カロの銅版画の文献としては代表的なもので338の作品が掲載(英文)。出版されたのが1975年とあって、のちにこれを補完するような文献もいくつか出版されています。
「ルネサンスの謝肉祭 ジャック・カロ」成瀬 駒男 (著) 1978年 発行=小沢書店
マニエリスム終焉からバロックへ。ジャック・カロの伝記的な文献で、日本語で読めるのは非常に貴重です。外箱にはカロの作品が印刷されています。
「図録 ジャック・カロ リアリズムと奇想の劇場 Jacques Callot」
国立西洋美術館 213ページ 25×21×2.2cm 2014年に開催された展示会の図録です。
「みづゑ No.884 1978.11」 ジャック・カロ ドラクロア
株式会社美術出版社 季刊みづゑ - 1905年創刊。1992年夏号で一時休刊したが、2001年「絵やものづくりの本」として復刊。2007年春号をもって休刊。これは1978年11月に発行された美術雑誌で、その前半にカロの特集が組まれています。高田みづえさんの写真集ではありません。硝子坂〜♪
記事:2017年4月1日掲載、2019年1月18日更新