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弦楽器製作と修復などをテーマとするクレーンホームページですが、まったく関係の無い(たまに関連のある)記事も書いています、それが「私的素敵頁(してきすてきぺい)」のコーナー。ほとんど個人的な備忘録なので間違っても真剣に読んではいけません。私の思い込みも多々有りますので誤りや勘違いがありましたら御容赦くだされ。
自称、片寄った版画コレクターのワタクシ。著名な作家の作品は少ないのですが、これは例外的に大家で稀少な吉田博の作品「倉 / Kura in Tomonoura」です。
吉田博作品すべてのなかで私がいちばん好きな作品です。氏の渓流作品と同じぐらいに非常に緻密に描かれており、船を描いたシリーズのなかでもこの作品はとりわけ船を丁寧に描き込んでいます。
国際的に高く評価されている画家、吉田博(1876年/明治9年 - 1950年/昭和25年)。新版画の世界でも先駆けです。川瀬巴水も影響を受けました。
この作品は昭和五年(1930年)に 54歳で描き発表されたもの。経年により少しヤケて退色していますが、充分に鑑賞できます。吉田博が生存中に摺られた初期の摺りで「自摺/じずり」の刻印が余白にあります(上の画像には写っていませんが)。マトモに購入すると30万円以上します。しかし、状態が悪いとか、後刷りとかになれば当然値段は下がると .... まぁ、そういったものでないと私のような庶民には手が届かない。弦楽器系版画のコーナーでも述べたとおりですな。
今年の夏の旅はこの版画に登場する「鞆の浦」現地を訪ねてみようというわけです。「とものうら」と読みます。去年の2018年に日本遺産になりました。
古い街並みも多く残り、しかもニャンコと出会える港町としても知られています。心が躍ります。
瀬戸内海の地図を御覧あれ。一目瞭然。呉をはじめとする造船地帯でもありますな。
新幹線のぞみに乗って東京から約3時間半ほどでJR福山駅(広島県福山市)に到着。乗車券と特急券で片道18000円ぐらい。往復だと往復割引で34000円ほど。
新幹線を降りたらいきなり駅の目の前に福山城があってびっくり!
JR福山駅の南口にトモテツバスというのが運行しているのでしばらく待っていたら福山はバラのまちであることに気づきます(2024年春には世界薔薇会議が開催)。
バスに乗り、バス停「鞆の浦」まで片道約15km(約30分)で到着。
吉田博は幾度か瀬戸内海を巡って、連作を発表していますが鞆の浦というタイトルの木版画作品は少なくとも3つあります。
ひとつは1927年の「鞆の浦 / Tomo no Ura」、そして1930年に制作されたのが「鞆之港 / Harbor of Tomonoura」及び掲題の「倉 / Kura in Tomonoura」です。
※盟友でもある中川八郎と二人で1930年(昭和5年)3月に小舟をチャーターして1ヶ月間にわたり瀬戸内海を揺られながらスケッチしたとあります。
クリックして↓拡大画像をじ〜〜っくり御覧くだされ
「鞆の浦 / Tomo no Ura」1927年 「鞆之港 / Harbor of Tomonoura」1930年 「倉 / Kura in Tomonoura」1930年
やたら乗り心地の悪いトモテツバスに乗って「鞆の浦」に到着。
御覧のとおり、まったく混んでいないのがやたら嬉しい。
海に浮かぶ小島が見えてきました ...
最初の作品「鞆の浦 / Tomo no Ura」1927年は夕暮れ時の小島ですが弁天島(百貫島)のことでしょうか? 鞆の浦一帯では似たようなロケーションがいくつかあり、表題が具体的な島や岬を指していないので今回は特定に至らず。おそらくココかな?という写真は撮っておきました。たぶん詳しく調べればワカルはず。
トモテツバスの「鞆の浦」というバス停を降りてボンヤリしていたら、いきなり左手に平成いろは丸がやってきて慌てて撮った写真の背景がどうやらソレっぽい。吉田博は島の東側(この島の裏側)から描いたので版画作品では鞆港の街灯りが右手に描かれているものと考えます。
さて、2つめの作品は「鞆之港 / Harbor of Tomonoura」1930年。これはほぼ同じ写真が撮れました。観光用のポスターなどに頻出するポイントなので吉田博も見逃すことはなかったのでしょう。但し、船の配置などは流石です。版画と写真を並べた画像も御覧あれ。吉田博の見た当時とほとんど同じ情景が現在でも目の前にあります。視点の高さなどを比べても、この作品に関しては船上ではなく陸から写生したものでしょう。
3つめの作品「倉 / Kura in Tomonoura」1930年ですが、これはちょっと意外でした。すぐに見つかるかと思っていたのですが、なかなかそれらしき現場は見あたらず。吉田博が描いてから約90年を経ているので3つ並んだ倉は現存しないのかも。だとしたら雁木(荷揚げに利用する階段状の積石設備)だけが頼り。
ん? と気が付けば「雁木の復元工事中」の看板を見つけました。
あぁ、これなら見つからんなぁ ..... 。でもおそらくこのあたりなのでしょう。きっと。
私は雁木の左手から撮りましたが、版画では右手から描いているので船上からでないと描けません。
鞆の浦は少なくとも平安時代以前から潮待ちの港町として栄え、南北朝、江戸時代、現代を通じて街の通りなどはほとんど変わっていないといいます。
現代に於いて「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが日本で残っているのは全国でも鞆港だけであると Wikipedia に解説があります。
奈良時代(天平)の万葉集に鞆の浦を詠んだ歌が八首も残されていることからも歴史の深さを感じますな。
● 常夜燈(とうろどう=燈籠塔):港に於いては灯台のことですな。
● 雁木(がんぎ):船荷を積み下ろしするために使う石積みの階段
● 波止場(突堤式埠頭):細長く突き出した土堰堤(えんてい)であり、波を遮る埠頭のこと。
● 焚場(たでば):木造船の船底に付着したフジツボなどの貝類や海藻を焼き払い、水分を乾燥させる設備。焚でるが語源とか。
● 船番所:通行する船を検査し、税の徴収などをおこなった役所
これら5カ所を自分の目で確かめて写真を撮ってやろうと ... 。
おおむね半径500m以内にすべてが確認できました。GoogleMapは実際の航空写真とは異なるデタラメな地図と目印が掲載されているので注意が必要です。実際の船番所と波止場(大波止)はGoogleMapの目印よりも少し南に位置しています。
というわけで私が撮った5カ所の写真は以下のようなものです。
写真1(常夜燈)
写真2(雁木) 2019年7月現在工事中
写真3(波止場) 1791年に、大可島下から90m、淀媛神社下から36mの波止を造り1810年に延長、1824年に完成(144m)
写真4(焚場)
写真5(船番所)写真中央の建物がそれだが現在はカフェ。
撮影した5カ所の地図も作ってみました。
※ 現在の常夜燈は安政6年(1859年)建造です。波止場の先端にももうひとつ常夜燈がありましたが明治15年の水害で倒壊・逸失。雁木は江戸初期のものは昭和30年代の高度経済成長期にコンクリートで埋められたり国道になったりして現在では残っておらず、現存するのは1811年の涌出岨浜大雁木(保命酒浜大雁木)ぐらいだとか。焚場についても昭和の時代にコンクリートで埋められており、江戸時代には約180mの範囲であったとされていることからGoogleMapのような特定のポイントを示すものではありません(正確には焚場跡)。波止場は江戸時代から造営・補修を繰り返しています。船番所も江戸初期に初代鞆奉行・萩野新右衛門重富が建造しましたが石垣以外は大正時代と昭和に全て建て替えられ現在はカフェになっています。五つの史跡を昔ながらに保存するのはいかに難しいかということでしょう。あえていえば「かろうじて五つの史跡を留めている」というのが正しいのでしょう。状態を保って後世に残していくのはたいへんなことです。歴史的なものは楽器でも史跡でもヘタにいじっちゃイカンということですな。
上記の地図でもわかるように、この港町全体は直径1km程度にまとまっています。
歩いて楽しむにはとても良い広さ。
旧跡名所がけっこうあります。もう、あれもこれも記事を書いていると明け方で眠いので、ここでは抜粋の抜粋の抜粋。
高台に歴史民俗資料館があって港を一望できるのですが周囲の樹木が育ちすぎていることと、工事も多く電線やらモダンなビルも多いので写真を撮るにはいまひとつでした。時期が悪かったのカモ。
それでもざっくり100年は経過しているような古い建物が多く残されており、昭和レトロと混在している地域もあります。古くて狭い路地がくまなく交差しています。陽も傾いてくると風情がありますな。
建物としては、とりわけ目につくのが保命酒のお店。そこいらじゅうにあります。どこのお店も元祖?な感じです。ついつい建物を鑑賞してしまいます。
水産加工場の脇にはニャンコもいました。ちょっと怖そうな顔をしていたので御機嫌を損ねないように遠巻きに写真撮って移動しまする ....
● 対潮楼?
それならと、名勝名高い福禅寺の対潮楼へ登ってみるか ... どこの路地から入ればいいのか迷っているうちに頭上から音が、 ガラガラガラ ....
ふと見上げるとその対潮楼(たいちょうろう)がまさに雨戸を閉めているところ! あちゃ〜〜〜〜!
「たいちょうろうはココですよ〜〜! もう店じまいです〜。 ざんねんでした〜〜!」
と、空耳のように雨戸の音がきこえたものです。
時計を見ればジャスト5時。たぶんこんなふうに見えたハズなのですが .... また次の機会に楽しみは残しておきましょう。
● ニャンコのお出迎え
とはいえ7月なので陽は長い。まだ歩きます。
ひとまず丘を降りたらいきなり3匹のネコ。おぉ!ニャンコ!
うち2匹が私の足下にすり寄ってきて、私もひと休み。抱っこして頬ずりしてナデナデしてノドやら掻いてやったりなんかして ..... 。
もう一匹が僕にもかまってくれと言わんばかりに目で訴えています。
そういえばすぐ近くの円福寺(えんぷくじ)は猫の名所らしい。さっそく石段を登ると ... ネコの団体さん。5匹ぐらい集まって会議中でしたが、その先にも3匹ぐらい見かけました。
またも抱っこして頬ずりしてナデナデしてノドやら掻いてやったりなんかして ..... 。
あぁ、なんだか久しぶりにくつろぐ感じ ....
ニャンコをナデナデしたら元気が出たので、焚場づたいに海辺を歩いて港の先端を目指します。
途中 村上製パン所に立ち寄りネジリパン(140円)を買います。ここの御先祖様はきっと水軍だったに違いないと勝手なことを想像しつつ、本日の最終目的地 淀媛神社(よどひめじんじゃ)に到着。
● 岬の先端
本日終了。
陽が落ちたところも撮影しようかと思っていましたが、歩き疲れて土踏まずがペッタンコ。
サスペンションの硬いトモテツバスで帰りましょ(2019年7月現在の時刻表)。
JR福山駅近くに宿をとりました。
JR福山駅の南口からトモテツバス(昔は鞆鉄道だった)というのが運行されていて、鞆の浦まで片道約15km(約30分)です。さすがに平日なのでバスも空いていました。
途中に20カ所ぐらいバス停があるようですが、行き先である鞆の浦あたりは「鞆車庫」→「鞆の浦」→「鞆港(終点)」となっています。
今回は終点では降りずに一つ手前の「鞆の浦」で降りて散策しながら港へ向かいました。
板バネ式の古いバス。かなり硬いサスペンションなので腰の悪い方はタクシーのほうがいいでしょう。道路も荒れた箇所がけっこうあり、かなり激しい突き上げがあります。
■ 参考サイト
【トモテツバス公式サイト】http://www.tomotetsu.co.jp/tomotetsu/index.html
・観光シーズンはボンネットバスも運行。乗りたかったのですが、ボンネットバスの運行は土日祝のみだと。
ワタクシは混むのが嫌いなので平日の訪問でしたがお店も休みだったりしますな。ここぞという見所は事前に調べておきましょう。
【吉田博の版画作品について詳しいサイト】(年代別作品掲載):100famousviews.com
【鞆の浦全般について詳しいサイト】 鞆物語 https://tomonoura.life/
のぞみはJR新岩国駅では停まらず。JR福山駅からこだまで移動します!
記事掲載:2019年8月3日
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