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前回にひきつづき「私的素敵頁(してきすてきぺい)」のコーナー 瀬戸内の旅 後編です。
ほとんど個人的な備忘録ですが記述の誤り等々ありましたら御連絡くだされ。
吉田博の木版画コレクションの現地を訪ねてみようと広島県福山市の「鞆の浦」にやってきた鶴田。世界の平和を守るため、ついでなら錦帯橋まで足を伸ばして悪の組織ショッカーを撲滅すべしと心に誓ったのであった(ショッカーの基地が岩国市に所在するのかどうかは未確認)。しかし、鶴田の前に灼熱の太陽が立ちはだかる。気温約35度、湿度約80%。暑い .... おまけに蒸してる。シューマイになった気分で、決意を新たに立ち向かう鶴田であつた。
錦帯橋は言わずと知れた日本を代表する木製の巨大なアーチ橋。「きんたいきょう」と読みますな。勤怠狂ではありませんよ。しかし、身近な人達に訊いたら知らない人もけっこういました。
橋の名前は完成当初は「岩国大橋」であったようですが凌雲橋(りょううんばし)、五竜橋(ごりゅうばし)、帯雲橋(たいうんばし)、算盤橋(そろばんばし)など様々な呼び名が存在しました。「錦帯橋」の名が確認できるのは宝永3年(1706)が最も古く、正式名称になったのは明治時代になってから。 錦に帯を渡すというのは美しいネーミングですが個人的には岩国城があってこそ橋ができたのだから岩国大橋でいいのでは、と思ったりもします(#関連付けて覚えやすいしね)。
山口県岩国市の錦川に掛かっていますが山口県とはいいながらも、ほとんど隣の広島県との県境あたりに位置しています。国際的な観光地で様々な施設も整備され、15分おきに運行されているロープウエイであっというまに山頂の岩国城にアクセスできます(今回は時間の都合で岩国城は断念)。
江戸時代から北斎、広重などによって浮世絵にもたびたび描かれてきましたが、かの川瀬巴水も 1924年や1947年など幾度も錦帯橋を描いています。上に掲載した鶴田撮影の錦帯橋もちょっと巴水スタイルであります(炎天下に橋のたもとで色付きの日傘をだいぶ待って撮ったのよ)。
川瀬巴水「周防錦帯橋」1924年 川瀬巴水「錦帯橋の春宵」1947年
全長193.3m 幅員5m (両端の桁橋は34.8m 中央3つのアーチ部分は35.1m)
世界でも珍しい木製のアーチ橋ですな。裏から見るとXブレイシング状のドメイン、とんでもない構造になってます。
木材でよくもまぁ、こんなものを作ったものです。素晴らしい。
古い写真を探すと時代ごとに少しづつ外観の装飾や作りが異なることがわかりますが、一貫してカッコイイ。
他のサイトや古い文献では「釘は使っていない」とありますが、それはマチガイで、実際には和釘が使われてきました。
※ 但し、アーチの桁(ケタ)は釘が使われておらず巻金(まきがね)という帯鉄(おびてつ)で縛ってある。
灼熱の下でひたすら待って無人状態の橋を撮ります。外国人も多いです。魚を釣っている人がいます。遠くに岩国城も見えます。
江戸時代、庶民はこの橋を渡ることが許されず、通れるようになったのは明治維新以降だといいます。
本来、岩国城が作られて山城をぐるりと取り巻いた錦川が防衛の要でありました。当初は戦になったらすぐに落とせるような橋でよかったのでしょう。ところが幕藩体制が安定してくると流されない橋のほうがイイということになりました。岩国城の直下には一部の家臣が住んでいましたが多くの家来衆や町民は対岸に住んでいたため、橋が無いとお城に通勤するには困ります。直下に住んでいた家臣達は朝起きてロープウエイで登って20分で岩国城に登城できたのですが、対岸の多くの家来たちを抜きにしては仕事にならんと。殿様もこれには困って丈夫な橋を作ろうとしたわけですな。
岩国藩主の吉川広嘉に命じられた児玉九郎右衛門の設計により延宝元年(1673年)10月1日建造。ところが翌年1964年に洪水であっけなく崩壊。しかし、そのあとがエライ。吉川広嘉は湯浅七右衛門と米村茂右衛門を近江に派遣し、穴太衆(あのうしゅう:石積み職人集団)の頭領である戸波駿河(となみするが)から技術を学んで帰国、延宝5年(1677年)に石垣と橋台の敷石を強化してその工夫が大成功。以降250年以上にわたって維持されてきました。
しかしながら残念なことに1950年(昭和25年)の台風で流失。現代の豪雨には耐えられんかったようで... 豪雨も進化したってことでしょうか?
歴代の補修工事の記録と技術が蓄積・継承されていたために1953年(昭和28年)に再建されます。伊勢神社の式年遷宮のように20年おきぐらいに作り替えて技を伝承したのですな。但し、このとき橋脚は鉄筋コンクリートの芯にして周囲を石積みで包む構造に変更されましたとさ。
2001年(平成13年)から2004年にかけておよそ50年ぶりの橋体部分(上モノ)の全掛け替え。 このとき金物は錆びないものにと和釘職人と鋼材メーカーが共同で特別に改良したSLCM(スーパー ロー カーボン モディファイ)という鋼材が和釘に使われています。21世紀のハイテク和釘です。
※ 桁橋は約40年おき、アーチ橋は約20年おき、橋板や高欄の取り替えは約15年おきに架け替えられてきました。
延宝5年(1677年)にひとまず完成形となった錦帯橋は人が渡るときにかなり揺れたようです。それで、5年後の天和2年(1682年)に鞍木(くらぎ)と助木(たすけぎ)を考案し施工したところ、橋の共振周波数/固有振動数は2.6Hzから3.3Hzに改善(剛性32%増強)されました。個人的にはこの1682年が完成年であろうと考えています。 大きな構造物(ビルや橋梁や船舶など)の設計・製造は共振との戦いなのでしょう。
その後も雨水による木材の腐蝕防止構造など様々な改良がなされています。おおむね最初に完成してから約350年が過ぎました。富岡製糸場が近代化を急ぐ政策として動力源や機械や製紙技術をお雇い外国人に頼って成功したことを考えると、むしろ日本人の伝統的な要害石垣の築造法や組木技術が長い歴史を重ねて結実した錦帯橋こそが世界遺産に相応しいのではないかと思えてきます。
世界遺産の橋梁としてはスペインのビスカヤ橋やイギリスのアイアンブリッジ渓谷(鉄橋)などがありますが、それらに劣らぬ英知と技の結晶といえましょう。木で作ってしまうところがいかにも日本人。
再び瀬戸内海の地図を御覧あれ。前回と同じ地図じゃないかって? そのとおり。青い矢印が山口県の岩国です。
サイクロン号は故障中なので新幹線こだまに乗ってJR福山駅からJR新岩国駅へ。約1時間10分 片道5700円ぐらいです。
そしてタクシーで錦帯橋まで約5分 1600円ぐらいでした。個人的にはタクシーがオススメ。
もしくはJR新岩国駅から2分ほど歩いて私鉄の錦川清流線というローカル列車があるので清流(線)新岩国駅から川西駅まで1駅ですが、降りたあと1.5km歩きます(炎天下はツライ)。
ほかにものんびり行くなら広島駅から在来線の山陽本線を使って新のつかない「岩国駅」からも錦帯橋へアクセス可能ですが、山陽本線はやたら時間がかかります。
今回は時間の都合で新幹線を新岩国駅で降りて往路はタクシーでしたが、ひととおり観光を終えて帰り(復路)は川西駅から錦川清流線で錦川方面へ1駅乗って清流(線)新岩国駅へ。260円(1駅6分)でした。降りたら徒歩2分でJR新岩国駅へ到着。
川西駅(かわにしえき)は 町外れにぽつんと立っている小さな駅です。つま先立ちしている感じの駅舎なのでがんばって汗かいて階段を登ります。トイレも電話もちゃんとあります。時刻表を見てのとおり本数が極端に少なくて行き先と時間帯によっては2時間とか3時間待ちます。今回は錦帯橋から川西駅まで炎天下を汗だくで20分歩いたあと川西駅で30分ほど待ちました。タクシーなら錦帯橋からJR新岩国駅まで5分です。サイクロン号なら30秒です。
ローカル線ですから乗り降りや運賃支払いに地域特有のルールがあります(ここでは後ろから乗って乗車券を取り、降りるときにお金と乗車券を車内の運転席後部に投入して前のドアから降ります。ドアはこのときは運転手操作で乗客の開閉ボタン等の操作は不要でした。ワンマンですが降りるときにボタンを押す必要はありません。2019年7月現在)。
川西駅では行き先(方向)の表記もわかりづらく矢印看板もまぎらわしいので、よく確認すべし。岩国駅と清流新岩国駅を間違えないコト。
橋だけでなく城下町と岩国城、そしてその関連の史跡が周辺に点在しています。個人的には武家屋敷がお気に入り。季節には屋形船や鵜飼いもやってます。例によって詳しく書くと朝になってしまうので、ここでは割愛。
飲食店はさほど多くはありませんが困ることもないでしょう。今回は前日に鞆の浦で鯛飯を食い損ねた反動が出て、今日はうな重をフンパツ。七代続く「平清」にて。
上級武士や庶民の住まいは数多く現存しますが、中級武家屋敷が当時のまま残されている例は結構珍しいそうで。ほとんど松で作られており2階部分は表通りからは見えないようにできてます(これ↓は裏庭から撮った写真)。
・公式ページ(岩国市観光振興課):http://kankou.iwakuni-city.net/mekatake.html
勤怠橋のたもとにあるお店 平清(ひらせい)は1858年(安政5年)創業で当初はお城の出入りを許された数少ない魚屋であったと。オフィシャルサイトのコンテンツには錦帯橋が昭和25年に流失する前の写真が掲載されており、橋に街灯や欄干に擬宝珠が見られ木材も捻れのあるものが使われています。うなぎは国産で関西風に焼き上げてからタレに付けます。蒸しません。上京して30余年 久しぶりに西日本風のうなぎを食べて至福のひとときでした。
冷えたビールも美味しくて極楽、極楽 ..... サイクロン号で来なくてヨカッタ、ヨカッタ。
・平清(ひらせい)オフィシャルサイト:http://www.hirasei.jp
あぁ、満足、満足。もう他の記事はどうでもいいや。本日終了。
はしを渡る料金です。真ん中を渡るから無料にしなさい! とか言ってゴネてはいけません。
【岩国市 錦帯橋公式ホームページ】http://kintaikyo.iwakuni-city.net/
・構造のCDなど動画あり http://kintaikyo.iwakuni-city.net/movie_02.html
・元禄12年(1699年)から歴代12種類の図面が残っている http://kintaikyo.iwakuni-city.net/tech/build1.html
【錦帯橋世界文化遺産登録推進協議会】http://kintaikyo-bridge.jp
・錦帯橋を世界遺産に(必見の詳細資料) http://kintaikyo-bridge.jp/wp-content/uploads/2018/12/2018teiansho.pdf
【観光Map】
・現地の観光用看板を撮っておきました。
■ オマケ:使用カメラとフィルム
今回の旅ではメインのカメラがPanasonic DMC-LX100 まぁ、コレはいつもの定番で鶴田の日常愛用デジタルカメラ。
サブカメラは以下のフィルムカメラ4台。記録用 iPhone も含めると結局6台になってしまつた。←アホ
首からカメラを6台ぶら下げて歩くと変質者だと思われて警察に通報されるか、もしくは職務質問されるので、良い子のみなさんはマネしないように。
実際にはポケットの多い旅行鞄に全てのカメラは収めています。
そして、撮ったらすぐ逃げる!... んぢゃなくてカメラはカバンにすぐしまうと。
● 35mm判 Agfa OPTIMA 335(AGNATAR F3.5 40mm)+ カラーネガフィルム FUJIFILM業務用 ISO100
● 35mm判 Rollei 35(Tessar F3.5 40mm) + カラーネガフィルム FUJIFILM業務用 ISO100
※どちらもCds 露出計内臓だがAgfaはフルオート、ローライはフルマニュアル追針式
● 16mm判 Rollei 16S(ZEISS Tessar F2.8 25mm) + 白黒フィルム ORWO ISO100
● 16mm判 MEC 16 SB改(Rodenstock Heligon F2 22mm) + 白黒フィルム ORWO ISO100
※どちらもゴッセン社のセレン露出計内臓だがRolleiはフルオート、MECはフルマニュアル追針式
16mmスチルカメラでもガウスタイプの銘レンズ ヘリゴン(Heligon)が使えるのは素晴らしい。
記事掲載:2019年8月8日
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