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クレーンホームページの「私的素敵頁 / Shiteki Suteki Pay」のコーナー(#備忘録ともいふね)。
地味に好評なのがこの、めんどくさくて楽しい鉄カメラシリーズです。そのカメラの歴史、使い方、工夫、注意点などをまとめています。
※ 過去に書いた参考記事:前回のシネカメラBOLEX H16や過去記事のSimplex Pocketteあるいは、
16mmフィルムとスチルカメラについてはMAMIYA16 や MEC16SB片目改造 など参考になるかもしれません。 参考にならないかもしれません。
■16mm映画の歴史はシネコダックから始まった(Cine Kodak)
さて、前回のボレックス H16 の記事の最後に予告してから、新型コロナウイルス感染(COVID-19)のおかげで無駄に忙しくなり、
公開がだいぶ遅れてしまいました。
そうするうちに、今度は地球規模の STAY HOME
となったので、ウチのクレーンホームページも更新頻度を上げて記事を掲載することに ...
今回は 死ね!コダック! ... じゃなくて シネコダックです。型番は MODEL B (モデルB)といいます。歴史的定番モデルです。
時代がちょっとだけ異なるモデルBを2台を所有しています。
冒頭の写真にある1928年頃の古い方が黒、多少新しい1930年頃の茶色。どちらも90年ぐらい前の映画用カメラです。
流通量が多いので価格も安く、量産されたおかげで調子の良い個体も数多く残っており、16mm映画の入門用にも良いと思います。
高級モデルではなく普及モデルでしたが、それでも当時はある程度の余裕がないと買えなかったのです。
現在コレを格安で入手して楽しむのは趣味としては恵まれておりますな。
以下、サムネイルの写真をクリックすると大きな画像を表示します。
BROWN 茶色(25mm F1.9):1930年頃 重さは約2kg 本革の質感がヨロシイ
※ゼンマイ式としてのモデルBは1925年に発売され1931年に生産を終了したらしい
コダック社から16mm両目フィルム規格が発表されたのが1921年(大正10年)。
それに伴い同社がプロトタイプとして作った手回しの初期のシネカメラ、それがのちに MODEL A と呼ばれることになります。
そして1923年に発売された映画カメラが シネコダック MODEL B 。
初期はF6.5のレンズだったようです。実質的にこれがまさに16mm映画の出発点でありました。
16mm映画の歴史はここから始まったと言えるでしょう。その後、各国で様々なメーカーが16mm映画に参入することになります。
シネコダックは長年にわたって製造され、時代ごとの部分的な変更を含めると様々なバリエーションがあります。
ここでは趣味の16mm撮影としては個人的に広くオススメしたい初期の MODEL B を中心に書いています。
MODEL B がゼンマイ式になったのは1925年で、それまでは手回しで撮影していました(三脚必須)。
そのため1925年を16mmシネマのスタートと解釈する人達もいます。
1929年から1934年頃にはパーツを簡素化し、サイズも少し小さく軽量化して価格を抑えた MODEL BB/Junior が発売され普及を促進しました。
1930年にはレンズとファインダーが一体式で交換できる MODEL K(1930 -1946) が登場し、
撮影速度もながらく 16コマ/秒 のみであったものが、 8コマ/秒も撮れるようになりました。
MODEL M(1933年 -1934年) を含めてリールが2巻並列の構造はこのモデルまで。
以降に発表される「シネコダック」はリールが他社と同様の直列配置となりました。
【参考】
1933年には CINE KODAK Special が登場。プロやハイアマチュア向けの多機能モデルでしたが、2巻のリールは一般的な直列配置。
アールデコのデザインにも賛否が分かれるところ。CINE KODAK Special II へと進歩して1960年代初期まで製造されました。
フィルムを大量に消費する時代がやってくるとシネコダックにもオプションで400フート大型マガジンが用意されました。
1937年の CINE KODAK MODEL E はフランス・パテのコピーカメラと捉えられており、これもフィルムのリールは縦並びの一般的な直列レイアウト。
1955年に発表された
CINE KODAK K100 は、後にターレットモデルの K100 TURRET へと進化しましたが、すでに直方体の印象は消え失せ個性は無くなります。
他メーカーの躍進もあり1973年に16mmのシネコダックシリーズは製造終了。
■奇妙なフィルム送りのメカニズム
モデルBのフィルムのリールは中ブタを開いた奥にセット。
引き出したフィルムはひねりながらコーナーローラーを介して中ブタを越え、スプロケット右へ入り、上側フィルムループをなしてシャッターゲートをくぐり二本の掻き下げ爪に引き下げられたあと下側のフィルムループをつくり、帰りのスプロケット左を出たら再びひねりを加えて巻取リールへ収まります。リールを駆動するスプリングベルトまでひねってあります。
これら一連のひねり技をシネカメラ界では 16mmのシライ F難度 と呼んでいます。 ( ←ウソ! 私が勝手に名付けた )
私は体操の白井選手の隠れファンなのだ。独自路線をトコトン追求するところがスバラシイ。
説明図を見てもワケ・ワカ・ラン?
そこで、全体のつくりと実際にどう動くのかを動画にしました。
おそらくテキストと写真よりもこの動画を見たほうがわかりやすいと思います。
このメカニズムは一貫して初期から約20年間にわたり変わることがありませんでした。
初期のモデルBからモデルKやモデル BBジュニア、モデルM など、同じ構造です。
■ 敷居が低い歴史的シネカメラ
奇妙なフィルム経路とは対象的に安定した動作。そして故障が少ないこともあり、本来は庶民向けであったシネコダックですが、じきにプロも使うようになりました。
戦場でも軍用モデルが大量に採用され、現在でもミリタリーマニアに人気があったりします。
撮影しないけど部屋に飾っておきたいという人もいるぐらいですから。
特徴的なのがスプロケットが1個しかない構造。供給する速度と巻き取る速度の調整機能を兼ねているので必ず送り量が一定になります。
よくもまぁ、こんなことを考えたなぁ。
シネコダックはその卓越した性能と個性で16mm動画撮影を決定的なものにしました。
長期にわたって生産され世界中に普及し、耐久性も高いため健全な状態で現存する個体数も多いのです。
中古市場では3000円ぐらいから。
フィルムは16mm幅の両目(両穴)を使います(2020年現在でも新品フィルムが入手可能)。
本体チェックはレンズとフィルム送りさえ問題無ければ、たいていは軽い清掃程度で普通に使えるようになります。
BOLEXと違ってハズレの確率が低いです。
多くの16mmシネカメラは時代と共に大きく重くなり、各社とも様々な機能が追加されて軽快とは言えなくなっていきました。
シネコダックも初期のスリムな直方体から徐々に突起が増えてレンズなどが大型化するにつれ、魅力も徐々に薄れていくように思えます。
個人的にはこういった初期の弁当箱のようなモデルが好みです。
フィルムのリールを横置き並列にした直方体というスタイルこそが 16mmシネコダックの象徴であり、ワタクシがいちばん魅力を感じる造形です。
とりわけ茶色の革のモデルは工芸品としての美しさがあります(革の手触りの感触もイイ)。
昔のココシャネルやグッチ、ディオールなどのハンドバッグを彷彿させる質感が他のシネカメラを圧倒します。
デザインというカテゴリーに於いても完成度が高いと私は評価しています。プラスチックを一切使っていない本体。レンズやファインダーもちゃんとガラス製。
これがゼンマイのみで動くのだからタマラナイ。電池もインターネットもWi-FiもSDメモリも不要。
2020年の現代にあっても、こんなに上品で手の込んだ製品は世界中のどこのメーカーも作れません。
所有する2台の モデルB は、注油すらしていないのに駆動音が軽快で驚くほど安定して動くのに驚きます。90年経過しているハズなのに ....。
入手したときは2台とも外観も内部もすごく汚れており、清掃がたいへんでした。
しかし、知名度だけでやたらハズレ率の高いミーハーな BOLEX H16 を苦労して探すぐらいなら、シネコダックのほうが遙かに敷居が低く実用的で低価格です。
操作も単純でわかりやすく固定焦点にもかかわらず描写も素晴らしいです。
とくに初期モデルは撮影の基本機能を維持することに注力された堅実なつくりで、余計な機能が付いていないところが良いのです。
■ シネコダックのフィルムの入れ方
まず、16mm幅でダブルパーフォレーション(両目:R2)のフィルムを用意します。
日本では北海道のかわうそ商店がネット販売しています。海外ではORWO社やfilmphotographyprojectで両目フィルムを販売しています(2020年4月現在)。
今回のようにテスト撮影のような短めのフィルムで撮りたいのであれば、私が過去記事で紹介した TSULTRA C LING を装着するといいでしょう。
フィルム装填はなるべく暗めの部屋で、ダークバッグ(チェンジバッグ)を使うのが良いでしょう。
(1)フィルム室の扉を開き、奥の部屋に生フィルムを入れます。フィルムは35cmほど引き出しておき、乳剤面とほどける方向に注意します。
リールは底面側が必ず四角い穴になります。リールの種類によっては片方が丸穴なので、長尺からの切り取りの場合などは間違えると向きを変えてフィルムを巻き直す必要があります。できればリールの両面が四角い穴のほうが使いやすいです。
(2)フィルムを入れたらフーテージ / フィルムカウンター(減算式)のレバーが手前に寄りかかっていることを確認します(たまに向こうに引っ掛かったままになる)。
(3)扉を閉じて扉のカドにあるローラーを経て前室に出します。おおむね30cm程度引き出しておきます。
(4)スプロケットの左右のガイドプレートと露光窓部分のガイドの3つの突起を引けばガイドが開きます(黄色の四角いテープは目印)。
写真のようにフィルムを通します。フィルムループ(動作の遊び分)を確保しておきましょう。
※ 多少のズレがあっても撮影を始めると自動的に長さは調整されるようにできています。
(5)フィルムを通す箇所を間違えないように通して巻取りリールの軸の溝に先端を入れてテープで留めます(フィルムが短いときは必ず巻取側はテープで留めます)。
(6)最後は3つのゲートを忘れずに閉じておきます。これを忘れると悲劇です。
まさに「これでいいのか?」というフィルムの引き回し。フタを閉じてロックして準備完了!
■ Cine Kodak Model Bで撮ってみました
【 シブヤ de シライ】
映画撮影の技法において一般的にパン(右から左とかカメラを振って撮影)はゆっくり、というのが鉄則です。
しかし今回は私の応援する体操のシライ選手にならって躍動感を出すべく、元気よく振り、ひねりを加えて撮ってみました。
今回はカメラも撮影もひねり系です。
路面に置いたままで撮り始め、俯瞰で撮ろうと持ち上げて右へ振って、回転逆パンなどを終えて路面にカメラは着地。
しかし2kgあるので手首が苦しくなってプルプル暴れています。私みたいなシロウトはひねってはイカン、ということなのでしょう。
もっとゆっくり、回転方向も再検討したほうがいいなぁ ... ちょっと反省。試写はこれでも可ですが、作品作りではしっかり撮りたいものです。※ ロケ地はJR渋谷駅前のスクランブル交差点(2020年1月22日 まだコロナが話題になる前に撮影したので人通りが多い)。
16mm幅 ASA400 の両目の黒白ネガフィルム ORWO を使って撮っていますが、晴天にもかかわらず誤って +3EV程度の絞り開放で撮ってシマウマ。あちゃ〜!
それでも流石ネガフィルム。工夫した自家現像とスキャンとPhotoShopでなんとか鑑賞できる程度に仕上がりました。
今回もケチなワタクシはフィルム約3mをリールに巻き、例によって自作の TSULTRA C LING を装着。
小さい JOBO の現像リールとLPLの35mm用現像タンク。
現像液は Kodak Xtol 1+1 にて20度で9分間。
現像液のエクストールは環境に優しいので使うようになりましたが D-76 とほとんど同じように使えます。若干、現像能力が強いです。
※ フィルムスキャンや現像やテレシネ(iMovie)等の作業方法については前回の BOLEX H16 などの過去記事を御覧ください。
■ 使用フィルムと謎の小窓
シネコダックは両目フィルム(ダブルパーフォレーション)の登場と同時にデビューした映画カメラで、長年にわたり両目フィルム向けの構造のままでした。
掻き下ろし爪も並列の2本が備わっています。
しかし、1960年代終わり頃から片目(シングルパーフォレーション)フィルムが現れると、
CINE Kodak Special や K100 といったモデルで片目仕様も製造されるようになりました。
なかには並列リールの古い両目モデルを片目仕様に改造する人もいました。
シネコダックには8mmシネカメラもありますが、多くはマガジン式なのでボレックスと違って16mmシネカメラと8mmカメラは判別しやすいです(中古で探しやすい)。
両目のフィルムを入れて撮ってみたところフィルムの左側に細長い丸形の小窓が露光していました。掲載動画をよく観察してみてください。
これはたぶんパーフォレーションが両側にあるので、映写(上映)したり編集するときに向きを間違えないようにとの工夫と思われます。
レンズのイメージサークル内にあるのでよく見るとちゃんと像が動いて写っています。
■ レンズなんて交換しなくていいんじゃね?
レンズは初期の頃から Kodak Anastigmat 25mm F3.5 が標準として採用されていましたが、1926年頃から 25mm F1.9 となり交換式へと進歩しました。
但し、登場から長い期間コダック社の独自マウントでした(のちの時代には16mm映画カメラのレンズは C マウントが標準になる)。
モデルBは固定レンズですが、この茶色モデルのように少し時代が下ると交換可能な構造になりました。
ただ、この時代のモデルに使える交換レンズはたしか75mmのみと記憶しています。
その後の モデルK から選択肢を伴うレンズ交換式になりますが、そもそも普及モデルとして登場したシネコダックなので、自分はレンズを交換する必要を感じません。
もし、レンズを交換して撮りたいのであれば他のメーカーのターレット式シネカメラを選べば良いのですから。
ピント合わせも不要で撮影速度も16コマ/秒のみ。こまかいことは気にせず何をどう撮りたいのか、撮ることに集中すればいいのです。
割りきって撮るカメラと言えるでしょう。
カメラの前面に注目すると、1928年頃の MODEL B では肖像撮影用の近接レンズが付いたことで全面パネルの上部は一段盛り上がっています(初期はほんとに平坦だった)。
初期の F3.5 の時代はレンズ筐体の直径は約16mmだったので、今見るとレンズが目立たないせいか全体がカメラに見えません。
その後、世間では明るいレンズが人気となったので F1.9 となり、筐体は直径 約32mm と倍に拡大しました(すぐ上の写真)。
モデル名が MODEL B で同じであっても製造された時代によって細部がだいぶ異なるのです。
ファインダー形状、ハンドル形状、フタの構造、掻き下げ爪に連動するフライホイールサイズとか ... 。
中古を探す場合、そういった数多くのバリエーションから発掘する楽しみがあります。
ボディには本革が張られており、茶色のモデルはフィルムカウンタやファインダーもレンズ先端のフードも同色の茶色に塗装されてオシャレです。
MODEL K などは多少の性能の向上はあるものの、メッキの質が悪く、作りもやや粗雑で大量生産の弊害が散見されるようになります。
レンズは時代を下るごとにでっかくなり、クロムメッキのギラギラしたレンズが異様に目立ちます。
それが世間でもよっぽど不評だったのか、黒く塗装したレンズも装備されるようになりました。
以前このシリーズで紹介した16mmシネカメラのシンプレックスも初期は小さな黒いレンズでスマートに見えたのですが、
シネコダックと同様に年月と共にレンズ筐体のサイズが倍以上にふくらみ、後に銀メッキになってからのモデルは全体のバランスがちょっと悪いです。
デザインの優劣でいえばシネコダックもシンプレックスも初期型の小型レンズモデルのほうがシャープで軽快な印象です。
■ シネコダ臭
手元の2台のシネコダックは両方とも入手時の内部はカビだらけでした! それだけフタの密閉度が高く遮光性も優れている証です。
実際、遮光のためのモルトなんてものは、この時代には使われていません。
昔はスチルもシネマもカメラ内部の遮光にはせいぜい毛糸が使われているぐらいでした。
内部のカビはアルコールと綿棒で細部まで拭き上げてだいぶマシになりましたが、臭いが少し残っています。
通気を良くして2週間ぐらい置いてだいぶ軽減されたのですが、もしかしたらこれはカビの臭いではなく塗料かグリスの変質した臭いなのかもしれません。
私はこれを シネコダ臭 と呼んでいます。
シネコダックに限らずスチルカメラもそうですが、古いカメラには多かれ少なかれ、いわゆる「カメラ臭」はよくあります。
風通しの良い乾燥した場所でしばらく干しましょう .... その後ほとんど臭いは無くなりました。
私は保管するときはフタを空けたままで防湿庫に入れるか、防カビ剤のムシューダを入れてフタをしています。
※ レンズやシネカメラの保管、扱いに関しては荒木泰晴さんの「爺の遺言」や「爺のいやがらせ」記事がとても参考になりました。
■ ミラー式ウエストレベルファインダー
シネコダックはミラー式のウエストレベルファインダーに加えて、なぜかビューファインダー(折り畳み式)も併設されています。
ビューファインダーのフロントガラスには御丁寧に視差補正(パララックス補正)ラインが刻印されています。
2つもいらないから1つにしたら? 実際、モデルMのようにミラーファインダーの無いモデルも存在します。
ミラー式ファインダーはアメリカの古いカメラではよく見かけます。
単純にレンズから光が入ってミラーで90度反射してレンズで拾いますが、目を近づけるとぼやけて結像せず30cm以上離して見る必要があります。老眼にはツライ ...。
しかもミラーの腐蝕が起こりやすく、私の所有する2台ともミラーは汚い状態でした。
シネコダックはたいていの個体においてウエストレベルファインダーのミラーに腐蝕があります。
修理は簡単で、厚さ 0.5mm 程度の樹脂製のミラーをハサミで四角に切り出し、古いミラーの上に貼り付けるだけです。みちがえるように明瞭になります。
ただ、左右が反転した像なので、あくまでフレーミング(構図)を決めるための簡易なものと考えたほうがいいです。
私は基本的にビューファインダーを使っています。
■ シネコダック モデルBの仕様
【 Cine Kodak MODEL B 】
発売年:1925年発売 1928年頃製造(黒色)、1930年頃製造(茶色)
メーカー:コダック Kodak アメリカ製
モデル名:Cine Kodak Model B
本体サイズ:22cm x 12cm x 7cm 突起部を含まず
重量:約2kgレンズ:Kodak Anastigmat 黒:25mm F3.5 茶:25mm F1.9
撮影速度(fps):16 [コマ/秒] の1速のみ ※コマ撮り不可
シャッター速度: 約1/30秒
露出:マニュアル(露出計を使って自分の手で絞りを設定)
使用フィルム:16mm幅の両目フィルム
フィルムマガジン:不要
フィルム装填:16mmフィルム用リールを使用。100feet(約30.5m)、50Feet(約15m)
駆動源/巻き上げ:ゼンマイバネ式 電池不要 ※最大40回転でフルチャージ、約1分間稼働
ファインダー1:ミラー反射式のウエストレベルファインダー
ファインダー2:光学式ビューファインダー 折り畳み構造
使用フィルム:16mm幅 ダブルパーフォレーション(両目:2R)
フィルタ:コダック純正NDフィルタ各種、お遊び用に3色カラーフィルタもあった
フィルム露光サイズ:10x14mm (スタンダード16またはレギュラー16と同等)
フィルムカウンター(FOOTAGE COUNTER):本体上面ダイヤル表示の減算式(ボディ内部の奥部屋にフィルム残量感知レバー搭載)
ボディ:鋳造と思われるスチール製。本革貼り
三脚穴:日本と同じ小ネジ1個
● 今日のPAY
モデルB自体が全般的に安価です。中学生のお小遣いで買えてしまいます。
嬉しいことに初期モデルはあまり人気が無くて球数が多いので安いです。
(#なぜかみんな MODEL K とかをほしがるのよ。実際の撮影でレンズ交換なんかしないくせに .... )
茶色は状態の良いものが少ないのですが、あれこれ探したらニューヨークで良い個体が見つかりフィルタ3個と露出カードといくつかの書類とケースが付属で US $55.00(6000円)+送料でした。合計約8000円。
今だと米国もコロナ騒ぎで外出禁止令が出ているから日本には送ってもらえないカモ?
16mmに限らずシネマカメラはシャッター速度が遅いので、海辺やスキー場など眩しい場所での撮影にNDフィルターは重宝します。
今のところ手元にある2台は両方ともレンズやシャッターは健全で使用には全く問題ありません。
非常に安定して撮影できており、コマ間隔ズレや光線漏れ等のトラブルは一切ありません。
コダック社の従業員は福利厚生の面でも厚遇されたといいます。そりゃ〜頑張って良いモノを作るハズですなぁ ...。
結果、従業員は歴史に残る仕事をしたわけです。
シネコダック モデルB 黒 送料込み ¥4000シネコダック モデルB 茶 送料込み ¥8000
● 資料:関連サイト
・Collecting movie cameras:シネカメラ好きのイタリア人が頑張って英語で書いているサイト。コダックの項も御覧あれ。
・Wikipedia コダック
・Wikipedia コダックの映画用レンズ
・Wikipedia 16mmフィルム
・Wikipedia:ジョージ・イーストマン
■ あとがき
ふぅ ... 今回はこのページの記事を書き終えるのに2ヶ月半かかってしまいました。
新型コロナウィルスのおかげで STAY HOME な方々が多いと知り、楽しんでいただければと急いでまとめあげました。
スマホで動画を撮れば手軽でお金もかからない。わかっちゃいるのだけれど、それでもなおフィルムで撮りたい ....
今回の2台のシネコダックは1930年頃の製造。90年前といえばほとんど1世紀前。昭和5年ごろですな。
オシャレな弁当箱シネカメラ。持ち歩いて実用するアイテムという意味では靴やカバンや被服のようなファッションの側面もあります。
ちなみにシネ(Cine)はフランス語の映画(Cinema)のことですが、コダック(Kodak)の社名は特に思想的な由来や意味は無く、
ただ響きがカッコイイからそう名付けたそうです。
コダック社の創業者はジョージ・イーストマン(1854 -1932)。
米国ニューヨークの発明家であり、従来の四角い板状フィルムに代わって細長く切って丸めるロールフィルムを発明(1884年特許取得)。
そのおかげで「映画」の歴史が始まったとも言われています。
コダック社は1900年(明治33年)にロールフィルムの120判(6cm幅で丸めたフィルム)を使うブローニーという名前の蛇腹カメラ(箱形もあった)を発売しました。
個人的にはアメリカなのにどうしてインチモジュール(2.54cm単位)じゃなくて6cm幅なのかね?という疑問もありますが、ブローニーシリーズのカメラは世界中に写真とカメラを普及させる決定打となりました。
イーストマン氏はフィルムをあらかじめ装填したカメラを販売し、撮影後はそのままコダック社へカメラごと送れば現像と紙焼き(プリント)と
新しいフィルムを返送するという画期的なしくみを考案、これで大成功を治めます。
また、様々なメーカーがカメラを製造するようになると、事業の中心をフィルムへ移行することで数多くのライバルカメラ企業をパートナーに変えた天才でした。
およそ100年間にわたりスチル写真と映画界の巨人として君臨しましたが、あろうことか最後は自ら開発したデジタルカメラの普及によって倒産することになりました。
記事:2020年4月13日
※ 現場的先達及び有識者の皆様、勘違いなど書いておりましたら mmm★st.rim.or.jp まで遠慮無く御教示いただけると嬉しいです(★を@に置き換えて)。
補足:2021年6月16日 体操の白井健三さんが現役引退を表明
東京オリンピックで活躍する姿が見たかっただけに残念。しかし、今後は指導にあたるということなので、後進に期待ですな。
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