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クレーンホームページの 私的素敵頁 / Shiteki Suteki Pay のコーナー(#備忘録ともいふね)。
地味に好評なのがこの、めんどくさくて楽しい鉄カメラシリーズです。今回も拡張改造シリーズの続きです。
オリンパスペンとリコー35デラックスとヤシカエレクトロ35 CCN WIDE に続いて 今回はマミヤ 35 II をスクエアフォーマットで撮れるように改造します。
■こだわりすぎて早すぎたマミヤ
かつてマミヤといえばマミヤプレス、6x6判のマミヤ6、レンズ交換式二眼レフのマミヤCシリーズ、RBやRZ .... と数々の名機を生み出した名門でした。報道写真の現場で鍛えられ、マニアックなアマチュア写真家達をも唸らせたメーカー。日本国内のみならず国際的にも広く知られることになりました(海外にもマミヤファンは多い)。個人的には 16mm映画フィルムを使うMAMIYA16シリーズに傾倒し、深みにはまること十余年 .....
120フィルムのスプリングカメラと二眼レフで成功していたマミヤも、やがてライカ判(35mmフィルム)のカメラを次々と作ります。しかし、あまりにもカメラ業界の動きが速すぎたためにレンズ交換式一眼レフの分野ではレンズマウントをたびたび変更し迷走したことで知られています。
エキザクタマウント⇒独自マウント⇒M42マウント⇒独自ESマウント⇒独自CSマウント⇒独自ミラクルマウント ... おかげで当時のマミヤファンは翻弄されたのですな。
しかし、一方では同じライカ判でもレンズ交換をしないレンズシャッター式のカメラにも力を入れていました。初代の MAMIYA35 ( I 型)はマミヤ6と同様にバックフォーカス方式で小西六Hexarレンズを搭載するなど凝りすぎてしまって商業的には成功しませんでしたが、それほどの熱いコダワリを持ったメーカーだったのです。
その I 型 の反省があったのか? 全面的に見直され、簡潔な造りで操作もわかりやすく堅実で壊れにくい。画質も優秀。そんな起死回生の新型が MAMIYA 35 II でありました。 II 型はたちまち人気を獲得していきました。その後もマミヤではレンズシャッターの35mm機が数多く作られましたが MAMIYA 35 II はそれらの原点といえるでしょう。
ボディ両端を絞り込み、軍艦部の上面をスッキリ同レベルに仕上げ、ノブ類のローレットなど当時としてはじつにコンパクトでスマートな優れたデザインでした(ドイツのカメラを真似しなかった)。おそらく、現在においてもこのカメラを手にしたならば「なんだか小さいね」と感じるはずです。マミヤが目指したのはドイツのコピーではなく 日本のカメラ であったのだと思います。
■ マミヤ35II の選び方
【 マミヤ35II 拡張改造】
まずは1台 480円で入手。外観はボロボロ ... 張り革はほぼ全部剥がれ落ちていました。
例によって改造前にまずは基本機能の確認と整備をひととおりやります。
汚れやシミやサビもあって汚い .... フツーの人は絶対手を出さない個体。(#ここの写真は外観クリーニング後のもの)。
シャッターは全速切れており、レンズも清掃したら使えそうです ... これ大事。
Lenz : SETAGAYA KOKI 世田谷光機株式会社製(MAMIYA 35II の初期モデルは SECOR S に加えてSETAGAYA KOKI の刻印も入っている)
★レンズボードは4つのマイナスネジをゆるめるだけでカンタンに外せる。
再度組み付けるときは左のシャッターを上に上げた状態にして、巻き上げて底部のフォークが2階往復してカチッというところで止める。
そしてレンズは最小撮影距離まで前玉を出しておき中央上のレンジファインダーレバーに合うようにする。
★内部にはじつに丁寧に遮光カバーが付いており、どれもアルミ板をプレスして艶消し黒で塗装してある。
強くかぶせてあるだけなのでラジオペンチで容易に引き剥がすことができる。
★軍艦部は巻上側の内部の C リングを飛ばさないように慎重に取り出す。
複雑な構成なので遊星歯車とその上下の部品の順番を忘れないようにメモ(または撮影)しながら作業したほうがよい。
MAMIYA 35 II は1955年(昭和30年)発売ですが、SETAGAYA KOKI と刻印されたF3.5 45mm のレンズ同志は交換が可能です。レンズ一式は一体化しておりシャッターはその後ろにあるビハインドシャッター方式。
また、レンズボードも丸ごと外せます。つまり、
なんてわかりやすい造り。メンテナンス性に優れ部品の差し替えも比較的カンタンにできるということなんですね。
カメラというより、この時代はまだかろうじて写真機と呼びたいものです。
絞り・シャッター・レンズ・レンジファインダー機構 ...状態によっては同時代の別個体から部品を調達/移植します。一時期はMAMIYA 35II がウチには6台か7台あったような ..... 7台全てが難有りで破棄されるより、部品を融通しあって3台の実用個体を生み出す。ということで、現在は1号機と3号機がベストな状態で5号機が部品取りの予備として手元にあります。
発表の翌年1956年には、はやくも改良?がなされ、レンズの刻印はセタガヤが消えて セコール / SECOR F2.8 50mmとなります。中古市場では圧倒的に F2.8 50mm が多いのですが、ワタクシとしては F3.5 45mmのほうが写りが良いと思います。画角も撮りやすくて好みです。45mmと50mmとではゼンゼン違います。
※ 注意:製造年が同じでも時期によってはレンズ交換できない個体があったります。
レンジファインダー機構のチェック。距離に応じて二重像がファインダーから重なって見えます。像の濃さも薄くなってはおらず、まずまず。
ファインダーやミラー類をクリーニング。それにしても ... これでいいのか?という簡素な造り。
部品点数がやたら少なく、前回の ヤシカ エレクトロ35 と比べてみると唖然とします。
シャッターや絞りの油乗りを洗浄。レンズも分解して曇りをクリーニング。拭き傷がわずかにありますが充分使える状態と判断。
昔のカメラとレンズはホントにメンテナンスしやすいですね。
この時代のマミヤのカメラは張り革の剥がれた個体が多いのが泣き所。
また、当時の競争の激しさを物語る如く、発売から数週間単位で改良がなされたようで、シンクロ接点の有無、レンズロゴの有無など、初期モデルにはいくつもの仕様の異なるものが存在します。レンズのヘリコイドのネジ山のピッチまで途中で変更されています。
ひととおり整備が終わったら、ひとまず試写。
SETAGAYA KOKI SECOR S 45mm F3.5MAMIYA 35II 初期モデル 1955年製造
■フィルムの端っこの穴まで写るように
昔のカメラはレンズの後玉からフィルム面まではハウジング類が無く単純な空洞になっているので作業が楽です。
レンズのイメージサークルは円形なので、ライカ判はその上下を隠して24x36mmにしてあるだけです。
シャッターはセルフコッキング式でシャッターチャージとフィルム1コマ巻き上げを兼ねます。 II型はこの巻き上げノブの内部に遊星歯車(プラネタリーギア) を内蔵するため最高速以外はとても巻き上げ操作が軽いのが特長です。凝った造りで良くできている。素晴らしい(#こういった無駄に凝ったギミックがたまらんのじゃ)。
残念ながら III型以降では巻き上げが単純なレバーになってコストダウンされてしまいます。 しかもそのレバーがよく折れることで知られています。要注意です。
35x36mm に改造します。前回までに詳しく説明しているので要領は同じですから、詳細な説明は省略。張り革も貼り替えて完了。
● 今日のPAY
MAMIYA 35 II はジャンク扱いのものばかりを入手したのですが、購入時の全てのデータは残っておらず、判明した3台について書いておきます。
とにかく捨てられて当然の個体ばかりでしたが、いくつも買えばそれなりの出費になるわけでして ... あははははは ... 。
1号機 MAMIYA 35 II ヤフオクにて(張り革剥がれ、後玉曇りと拭き傷) 送料別 ¥480
2号機 MAMIYA 35 II ヤフオクにて(低互換:ネジ山のピッチが異なる) 送料別 ¥1500ぐらい
3号機 MAMIYA 35 II ヤフオクにて(レンズの状態は最良) 送料別 ¥2180
■ 拡張改造後の試写
拡張カメラ ... 撮っているときはファインダーの範囲しか見えないので、現像してみたら意外な範囲まで写り込んでいた!という楽しみもあります。
改造1号機で撮影。この日の渋谷は天気が良すぎて光が眩しく、整備レンズはうっすら残ったカビ痕で若干ハレ気味ですが細部まで良く捉えています。
のちに4号機のレンズの後玉を1号機へ移植して逆光時にハレる問題は改善しました。
以下は改造3号機の作例。 入手時の値段もすこし高めであったせいか最低限の部品の組み替えで状態良く動作しています。
これも3号機の試写の例です。2020年夏に撮りました。
■ マミヤはやっぱりイイ ....
マミヤはじつに多くのモデルを製造していましたが、ボディにモデル名が明確に刻印されることは少なかったのです(多くは MAMIYA の刻印のみ)。刻印があっても目立たない箇所に小さくとか ... 。ルビーとかメリットとかエルカの刻印のあるモデルは珍しい部類。中古カメラをマミヤで検索すると見つかったカメラは MAMIYAとしか刻印が無く、あとはレンズや露出計の有無などの構造でモデル名を判別せねばならんことも多いのです。24x24mmスクエアで国際的に有名なマミヤスケッチですらボディには MAMIYA の刻印のみで Sketchの刻印はありません。マガジン式で撮影途中にフィルム交換できるユニークな Mamiya Magazine 35 もボディには MAMIYA としか刻印されていません。
コダワリが故にやたらと独自の技術が反省されてユニークなモデルも多いのですが、中古市場で探すときにはちょっと苦労するメーカーです。マミヤ 35 II 型は国産のSEIKO社のシャッターが組まれていました。やがて III 型で巻き上げはレバー式(よく折れた)、シャッターも一般的なビトゥィーン式へ変更されるなど、個人的に思うには徐々にフツーのカメラになっていきました。その後はレンズが明るくなったり露出機構を備えるなどの変化を遂げ、35Sとなり、クラウン、エルカ、メトラ、ルビーなどを生み出したほか、EEモデルやワイドモデルも作られました。国際的にみても類をみない35mmレンズシャッター機の充実のラインナップ。
国産レンズ、国産シャッター、そして日本ならではのデザイン。欧米には無いカメラデザインもマミヤの大きな魅力です。マミヤ社は1984年3月にいったん倒産するのですが、再起にあたって業務用のブローニー判を主体としたために、35mm判のカメラはついに復活しませんでした(#1980年代にプラスチックボディのフラッシュ付きAFモデルも販売されましたが人気はいまひとつでした)。
歴代のマミヤを見ていくとオリジナリティというか、自社の独自のアイディアを尊重して他社の真似はしないという姿勢を強く感じます。レンズ名は限られた期間の自社製造だけでも「セコール」でいえば3群4枚、3群5枚、4群5枚、4群6枚、4群7枚、トポゴン型4群4枚、5群6枚、5群7枚、5群8枚、6群6枚、6群7枚、6群9枚、7群8枚、7群9枚、8群8枚、8群11枚、12群14枚 ..... もう書ききれません。常に改変し続けたのですね。それらはいちいち刻印を変えておらずSEKORとしか表記されていません。カメラのモデル名やレンズの名前にこだわらず、結果を重んじたことがよく理解できます。
● 参考サイト
Camera-Wiki:MAMIYA マミヤ光機製作所
Wikipedia:マミヤ・オーピーのカメラ製品一覧
■どんどん捨てられる鉄カメラたち
前回も書きましたが ... スマホやデジカメが旺盛の現代。フィルムカメラは使われる事なく膨大な数量が現存するため、段ボール箱に押し詰めて売られているのが現状です。ヤフオク等に出てくるのはそのうちのごく一部。たいていはお爺ちゃんとかお父さんが亡くなって押し入れのものはまとめて廃棄。たいていは問答無用でまとめて廃棄。回収して燃やして溶かして鉄資源にしたほうが良いという考え方もあります。
そんななかから、まだ使えそうな、でも、ほっとけば明日にはスクラップにされるようなカメラを入手して整備して、しかも付加機能を付けて復活させるというのがこのプロジェクトの本意であります。
亡くなる運命のカメラを甦生して立派な写真を撮ってやろうじゃないか、ということですな。
そんなわけで、次回はオリンパスワイドの登場です。これがまた泣かせる良いカメラなのよ ..........
記事:2020年7月12日
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